2010年8月14日
あれはクーラー付けっぱなしの夏だった
ということで、1ヶ月ぶりの更新で、またまたお仕事ダイジェストっす。すまんス(笑)。
7/8
小学館版『ジュニア版日本の歴史』連動企画として、小学館のWebで公開予定の歴史家vsマンガ家対談第1回分の原稿が完成。メールで担当U山さん宛てに送る。第1回だからみんなの反応が心配だったけど、U山さんからも対談した先生方からも好評でホッとした。公開は8月上旬の予定で、すでにデザインも完成しているんだけど、本の発売時期との連動をにらんで遅れているようです。公開されたらURLも紹介しますね。
7月上旬
集英社の児童向け学習マンガ単行本の原作の仕事が遅れ気味だ。というかほとんど手が着いていない。今月20日締め切りなのに!
密かに締め切りは1回くらい延ばしてもらえるんじゃないかと、甘い考えでいたのだが、編集のI澤くんに電話をしてみると......「来月上旬まで締め切りを延ばして欲しい? それは厳しいな。マンガ家ももう待ってるから」と一言の元に却下されてしまった。
それでも頼み込んで、ようやく今月いっぱい時間をもらった。
さぁ、忙しいゾ!
ということで、大車輪で構成をまとめ、プロットを作成し、原作に取りかかる。
7/20
ぼくが昭和のおもちゃコレクションを貸し出し、その図版を使用した友人の本『学研ビジュアル新書 昭和子どもブーム』がようやく刊行となり、我が家にも見本の本が届いた。著者はミステリクラブ後輩の大崎悌造くん。昭和時代の人気ヒーローの思い出を、時代ごとの「ブーム」という切り口で振り返った本である。昭和30年代初めの『月光仮面』から、『レインボーマン』とか『ミラーマン』などの第2次特撮ブームごろまでのヒーローの話題と懐かしいおもちゃの図版が満載されている。当初は3月ごろ刊行予定だったとのことで、話はそのころから少しずつ進んでいたのだが、著作権申請に手間取ってこの時期になってしまったのだとか。
ということで、店頭で目にされたらぜひお手にとって見てやってくださいませ。
| 昭和子どもブーム (学研ビジュアル新書) | |
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8/1
7月いっぱいまで締め切りを延ばしてもらった集英社の学習マンガの原作第1稿が、1日おくれでようやく完成した。編集のI澤くんからは、若干の修正を言われたが、大改革ではないので数日で直せそう。ふー、よかった。
ただ、こちらは本名ではなくペンネームで出すつもりなので、考えて提示したペンネームに対して、I澤くんから手厳しい批評が。「この名前じゃそっけない感じがして子どもが親しみを持ってくれない。そもそも名前のような気がしない」などとさんざんな言われようで、「黒沢がどうしてもこのペンネームがいいというなら仕方ないが、そうでなければ考え直した方がいい」とまで。シクシクシク。けっこうがんばって考えたペンネームだったのに~~~。ということで、新しいペンネームを考えた。これでNGは出させないぞ!
新ペンネームの方は、いずれ機会があれば発表すると言うことで、ボツになったペンネームをここで大公開しちゃいます。そのペンネームとは......
岬 十二月
いいでしょ!? どうよ、自信作だよ。戸井十月氏の名前からヒントを得て、12月生まれだから十二月にして。その十二月と語呂の合う名字を付けようと、あれこれ言葉をくっつけてみて、いちばんぴったりする岬をくっつけた。
それで岬 十二月。えー、だめー? かっこいいのに岬 十二月。あれ、でも連呼しているうちに、なんかダサイような気もしてきた。うーん、やっぱだめかぁ。誰か使ってもいいよ、この名前(笑)。
8/1-8/6
昨年に引き続き、今年も柴又の友人T村さん一家が九州へ帰省するので、その間、愛犬のコジロー(ロングコートチワワ)とブン(キャバリア・キング・チャールズ・スパニエル)の世話を頼まれた。
午前中にエサと水をやり、夕方に約30分の散歩。最近はたまにしか会わないが、それでも2匹ともちゃんとぼくのことを覚えていて、しっかりなついてくれている。また今年は、T村さんの娘さんの幼なじみで、わが家の隣に住む18歳のアルバイターSくんも散歩を手伝ってくれた。コジロー(左)は、数年前まではこのSくんを見ると猛然と吠えかかり、うっかりすると噛みついていたので、Sくんも始めは激しくビビっていたが、今年は少しおとなしくなったようだ。でもカメラに向かって微笑みつつも、Sくんはまだかなり腰が引けているようだ(笑)。
8/3
14:00、電車で池袋へ。サンシャインプリンスホテルのロビーラウンジで、手塚治虫公式サイトの連載コラム『手塚マンガあの日あの時』取材。今回のテーマである『三つ目がとおる』の連載が始まったころのお話を、当時の担当編集者の方にお会いしてお聞きする。とても情熱的な方で、お話も非常に面白かった。短いコラムの中で一部しか使わないのはもったいないほどの貴重なお話がいろいろ聞けたので、ぜひいずれ別の機会にも紹介したいなぁ。
8/7
13:30、電車で川越へ。今日は小学館のWeb企画歴史家とマンガ家の対談第4回目の取材があるのだ。編集のU山氏とは川越駅前で15:00の予定だったんだけど、川越に来るのは久々なので、ちょっと町歩きをしてみようとおもって早めに付いたのだ......が、しかし暑い、暑すぎる!! ということで駅周辺を歩いたらもうバテてしまったので、蔵の街の散策はあきらめて、駅ビル内のブックファーストで立ち読みをして時間をつぶす。だめじゃん!
と、そうこうしているうちに待ち合わせ時間になったので駅の改札前へ移動する。が、時間を過ぎてもU山さんが現れない。どうしたんだろう......と携帯に電話を入れてみると、何ともうむこうももう駅前にいると言うではないか。おかしいなぁ、と思ってあたりを見回すが、どこにも見当たらない。もしやと思い、こう聞いてみる「ぼく、いま川越駅にいるんですけど......ここでいーんですよね?」するとU山さん「違いますよ黒沢さん、川越駅じゃなくて川越市駅です!」ズガーン、何と待ち合わせは隣の駅だった。
結局、U山さんには先に現地へ行ってもらうことにして、ぼくもすぐに後を追って出発する。
あらかじめプリントアウトして持ってきた取材場所の料亭の地図を見ると、川越駅からでも歩いていける感じだ。じゃあ時間はまだ余裕あるし、徒歩で行くか! と歩き出した。が、そこで思い出した。今日は暑かったんだ......。日陰もほとんどない直線路をおろおろと歩く。歩く。歩く。水筒に入れてきた麦茶はとっくになくなっている。そしてようやく現地に到着したのだが、、、うー、取材前に死んだ。バタッ!
結局、取材はとどこおりなく終わり、おいしい料理もいただいて、大変楽しく充実した1日でした。暑くなければ。
8/10
14:00、電車で神保町へ。小学館クリエイティブで書籍担当のK村さんとコラム企画の打ち合わせ。
14:30、つづいて同じく小学館クリエイティブのT森さんと小学館の学習図鑑企画打ち合わせ。
途中、編集部内の廊下で、以前、『三丁目の夕日』のムックや『はとバス』の社史でお世話になったI田編集長とすれ違い、「ブログ更新してないね!」と言われる。確かに(笑)。なのでこうして焦って更新することに。。。更新チェックに来てくださっている皆さん、毎度申し訳ないです。
その後、17:00から集英社の児童書編集のI澤くんと打ち合わせの予定だが、少し時間があるから古本屋でも冷やかすか......と思ったらそこでハッと気付いた。
今日、I澤くんに返却しなければいけない資料を持ってくるのを忘れたのだ!! 一瞬、急ぐものではないから後で郵便で送ればいいか、とも思ったのだが、何となく返すのを忘れたのではかっこがつかない。ということで、急いで電車でいったん帰宅。I澤くんに少し遅れる旨のメールを打って、すぐに返却資料を袋に詰め、今度は車に飛び乗って再び神保町へ。
予定の17:00に15分ほど遅れて到着。無事に打ち合わせは行われたのだった。ふー。
8/11
手塚治虫公式サイトのコラム『手塚マンガあの日あの時』第12回の原稿を執筆。今回のテーマは先ほども触れたとおり『三つ目がとおる』誕生のあの時に迫ります。今回の原稿は、あまり悩むこともなくすんなり完成した。公開は9/1の予定です。
8/12
本当は連休の前後にやるべきことが山盛りなんだけど、近所の友人YちゃんとKちゃんから映画に誘われた。よく考えたらここ数日、ほとんど休んでない。そこで気分転換に誘いに乗ることにした。
車で向かったのは、ここもひさびさに来た、サティ市川妙典店の中にあるワーナーマイカルシネマズ市川妙典。そしてみたプログラムは『借りぐらしのアリエッティ』である。ジブリ映画は毎回、水準以上の完成度で大きく期待を外されることはないが、逆に言えば、ブランド人気が先行してしまっていて、前評判のワリに意外に肩すかしをくらう場合も間々ある。まーこれは、ジブリアニメの魅力をよく分かってないマスコミが、映画の公開前に、変な方向に期待感を誘導してるのが原因でもあるんだけどね。テレビの特番とかを見た後で映画を見ると「あれっ? こんな内容だったの!?」っていう感じでスカッと空振りしてしまうっていうかさ。果たしてこの映画はどうだろうか......。
![]() ©2010 GNDHDDTW |
オープニングは、ある夏、ひとりの少年が車に乗って叔母の家に預けられるところから始まる。まるでプレイステーション用ゲーム『ぼくのなつやすみ』を思わせるシチュエーションで期待が高まる。古い叔母の家の見せ方も存在感があっていい感じ。ただ、アリエッティたち小人族の見せ方が、ぼく的にはちょっとそっけなさすぎたかな。少年がこの家に着いてそうそうアリエッティをはっきりと目撃してしまうのが、もったいないという感じが。ぼくだったらもう少し気を持たせて期待感を高めていくのに、とか(笑)。
アニメーションとしての表現は、最初から最後までリアリティに徹していて、それはそれでアリだとは思うが、ここぞというところではもっとアニメらしいデフォルメが欲しかった。ストーリーはシンプルで特段大きな事件が起こるわけでもなく、若干、食い足りない感じが残る。大長編のプロローグだけを見せられたような感じなのだ。ラストは続編が作れるような終わり方をしているので、もしも実際に続編が作られるのなら、そちらの方が面白くなりそうな気がした。
ところで「借りぐらし」っていっても借りたものは返さないんだから泥棒じゃん! というあたりまえの突っ込みに対して、シナリオでは何らかの答えを出しておくべきだったのではないだろうか。って、こんな突っ込みは野暮ですか。そうですか。
投稿者 黒沢哲哉 : 14:42 | コメント (0) | トラックバック
2010年7月 7日
蒸し暑さの中でも疾り続けるしかない...ヒィ...
6/1
11:00、柴又のおもちゃ博物館で、大学のワセダミステリクラブ後輩でフリーライターの大崎悌造くんと待ち合わせ。大崎くんがこんど学研から刊行予定の本で、ぼくのおもちゃの写真を撮影して使いたいというので、まずはこの日、柴又のおもちゃ博物館にあるおもちゃを撮影する予定なのだ。
時間ぴったりに行くと、すでに学研のカメラマンさんと編集のY本さん、S野さんが来ていた。ほどなくして大崎くんも到着。
すでに先月中に撮影する品のチェックは終わっていたので撮影は順調に進み、午後2時、帝釈天参道の川千家でうな重の遅い昼食を食べて解散。
こういうのんびりした撮影なら歓迎なんだけどねー、来週には学研編集部での大量のおもちゃの撮影が待っているのだ。
6/5
午後、電車で新宿へ。京王プラザホテルでマジックショーを観覧する。以前、ぼくが原作を執筆し「少年ガンガン」に連載したマンガ『マジック・マスター』で監修をしていただいた、プロマジシャンの柳田昌宏氏が日本での現役を引退することになり、その引退記念ショーが開催されたのだ。
会場には、かつてお世話になった懐かしいマジシャンやマジックファンの面々が集まった。また、当時、ガンガンの編集担当で2年連続でアメリカ取材旅行へも行ったN川さんとも数年ぶりの再開を果たした。
19:00、ショーが始まった。ショーはディナーショー形式で、食事を食べながら和やかにマジックを観覧するというもの。久々に見る柳田さんのマジックはもとより、かつて『マジック・マスター』で足繁く柳田さんの事務所へ通っていたころにはまだ新人だったマジシャンたちも、すでに堂々としたステージをこなしていて時の流れを感じたりもした。
22:00、ショーが終了し、皆さんは二次会へと流れていったが、ぼくは仕事を残しているので帰宅。
『マジック・マスター』時代の忙しくも楽しかった日々を思い出しながらほんわかとした気持ちで帰路についたのだった。
6/7
10:00、車におもちゃを満載して五反田へ。学研の写真スタジオで大崎くんの本のおもちゃ撮影1日目。数年前に自分の本で同じような撮影をしたから段取りは慣れたものだけど、やっぱりハードです。大崎くんもおもちゃのことはよく分かっているので、いちいち説明の必要がなく、それが助かったかな。
ところでぼくは、学研ではおよそ25年ほど前に一度だけ『高一コース』で数ページのコラムを書いたことがあったけど、学研本社を訪れたのはそれ以来のこと。何でも新社屋ができたばかりだそうで、あのころとはまるで違うババーンと立派なビルになっていたので驚いた。
6/8
10:00、車で五反田へ。学研のスタジオでのおもちゃ撮影2日目。この日も撮影は順調に進み、明るいうちにすべてのおもちゃの撮影が終了した。
6/9
13:00、電車で神保町へ。集英社で編集のI沢くんと打ち合わせ。新しい仕事を依頼されたが、ぼくが通常3か月かけている仕事を1か月で上げてくれとのこと。んー、大丈夫だろうか......。
そのまま電車で高田馬場へ。手塚プロでI藤さんと次回ホームページコラムの企画打ち合わせ。来週は取材もあるので、その段取りなどもあっていろいろと面倒なり。
6/11
愛車フレンディのタイヤがそろそろやばいので、環七の平野タイヤにタイヤを注文してあった。そして今日は予約を入れておいた交換の日。どんなタイヤに交換したかなどの詳細は、後日、別エントリーをたてて報告いたします。
6/11-12
ミリオン出版のムック用の原作を執筆。しかし書き上がる前に手塚治虫のコラムの締め切りが迫ってきちゃったのでこちらは一時中断。
6/14-16
手塚治虫公式サイトのコラム『手塚マンガあの日あの時』第11回の原稿を執筆。資料はそろえてあったからすぐに書けると思ったら、意外にもてこずり3日もかかってしまった。ふー。
6/17
と、そうこうしているうちに、とうとうミリオン出版編集のT根編集長からも催促の電話が来てしまった! 「あー、すいません。もう半分以上書き上がってまして、あとちょっとで書き上がるところですんで、今日中には送ります!」と返事をして、原稿を......書かずにすぐさま家を出る。
13:00、電車で東銀座へ。昭和通り沿いの喫茶室ルノアールで、いそっぷ社社長のS藤さんと待ち合わせ。次回単行本企画の構成打ち合わせ。過去に雑誌に連載した記事を元に本を作る予定なんだけど、単行本の切り口に合わせてかなり書き直す必要がありそう。こちらが忙しくなる前に、ほかの仕事を片付けておかなくちゃ。
帰宅後、ただちにミリオン出版の原作の続きを執筆。23:58、日付が変わる直前に完成した原稿をメールで送る。
翌日、監修者のチェックでもOKが出たとのことで、ようやく脱稿した。ふー。
6/18
10:00、車に自転車を積んで、神奈川県の鎌倉へ。今日は手塚プロのコラムの取材なのだー。午後からは天気が崩れるという予報なので、車を鶴岡八幡宮の裏手の駐車場に預けて、自転車で出発。目的の場所を急いで回りながらデジカメに収める。平日だというのに鎌倉は観光客でかなりの混雑だった。
それにしても鎌倉に来たのは何年ぶりだろー。およそ20年くらいかしらん。由比ヶ浜に自転車を止めてボーッと海を眺めていると、ふと昔のことが思い出されてきた。
かつて小学館で仕事をしていたころ、ぼくはまだバイクに乗っていて、仕事仲間で旅とバイクが大好きな人が鎌倉に住んでいて、その人と鎌倉や逗子をツーリングして遊んだことがあったっけなぁ......なんてふと感傷にひたったりして(笑)。
そして午後、薄日まで差していた空は一転かき曇り、予報通りの雨となってしまった! 自転車は車に戻し、徒歩に切り替えるも、靴の中までぐしょぐしょ。後から来た手塚プロのI藤さんと合流するころには雨はさらに強まり土砂降りとなっていた。それでも何とか無事に取材を終え、鎌倉駅前でI藤さんと別れて帰途についたのは午後4時過ぎだった。
すると、そのころになったら急に雨が小降りになりはじめ、首都高に入ったころにはもう完全に止んでいた。
渋滞が始まっていたので、大黒パーキングエリアでちょっと早い夕食を取り、のんびりと帰宅。久々の鎌倉、楽しかったけど何だかドッと疲れた取材でありました。
6/20
10:00、電車で有楽町へ。この日、ここで開かれる大江戸骨董市で、おもちゃコレクター仲間のNさんとMさんとプチオフ会を開催するのだ。先日、一度もお会いしたことのないMさんにネットでの情報交換でお世話になったので、一度、ぜひお会いしましょうということになり、共通の知り合いであるNさんも誘ってプチオフを開くことになったのだ。
どうせならということで場所は骨董市会場に設定。ちょうどG-Diaryのコラムに使えそうな資料も見つかってホクホクのぼくなのでありました。
6/21
そうこうしているうちに、小学館の学習図書編集部のF田さんからも、やりかけていた学習まんがの原作の督促メールが入る。
こちらもそろそろ催促が来るんじゃないかと思っていたので、すぐに執筆に取りかかり、第2章第3稿を1日でアップした。なんだ、1日ですぐに書き上がるならこんなにギリギリまで引っ張らないで先に上げておけば楽だったのに、と思うのは素人の赤坂さ(笑)。やっぱギリギリにならないと本気の馬力が出ないんだなぁ。
6/23-24
雑誌「別冊漫画ゴラク」の連載マンガ『龍のおんな』第22話最終回の原作を執筆。2年間続いたこのマンガもいよいよ最終回。ラストは作画の和気先生が熱く描いてくれるといいなぁと思いつつ思いっきりテンションを上げて書いたけど、同時にいちまつの寂しさもありますね。
6/25-27
来週の取材のための資料マンガを読む。マンガを読むのが仕事。へっへっへ、うらやましいだろう、ってホントは仕事で読んでるとあんまり楽しくないんだよぉぉぉ(涙)。
6/29
16:00、電車で上野へ。とある料亭で小学館のマンガ家対談企画の取材3回目。記事はまだ1行も書いていないのに、取材だけはアポが取れたところからどんどん先行して予定が入ってしまうので、何だか話の中身が混乱しそうです。
7/1
雑誌「G-Diary」の連載コラム『あの日の僕に帰りたい』第41回の原稿を執筆。資料は早々とそろえてあったんだけど、記事の参考用にと集めた5本ほどのビデオソフトを見る時間がなく、書く直前になってあたふたと見ることになってしまった。
ふっふっふ、しかし僕には倍速での音声再生可能なスペシャルなVHSデッキがあるのだ! ジャーン!! と思ったら、そのカンジンの倍速機能が故障していた。な、なにぃぃぃ!? 仕方なく通常再生で見る。所要時間8時間(!)死んだ......バタッ。
それにしても、一時は5台もあったビデオデッキが次々と故障。現在はVHS2台とベータ1台しかなくなってしまった。これが故障したら困るなぁ。
7/3-5
手塚治虫公式サイトのコラムの取材で、福島県の会津若松を訪問。こちらも詳しくは後日、別エントリーで報告します。
投稿者 黒沢哲哉 : 22:46 | コメント (0) | トラックバック
2010年6月 4日
取材、取材、テープ起こし→(怒)→Atok2010購入
なんだかんだで、すっかり月イチ更新ペースになっていて済まんス。
ということで、今月もお仕事ダイジェスト......。
05/19
この日よりさかのぼることおよそ1ヶ月前、小学館の20年来のつきあいになる編集U山さんからお話をいただき、マンガ家さんの対談の記事構成をやらせていただくことになった。そしてこの日はその対談第1回目の取材日なのだ。
午後、電車で上野へ。本日の対談場所は上野公園内にある和風会席料理のお店韻松亭というところ(下の画像)。
上野公園の中にこんなお店があったなんて初めて知りました。小さいお店だけど落ち着いた静かな雰囲気で対談もばっちり盛り上がった。
5/22
一昨日に続いて第2回目の対談取材日。記事は月イチペースで書く予定なんだけど、対談していただく方のスケジュール優先ということで前倒しの取材である。
ということで今日は電車で根津へ。少し早く着いたので路地を散策する。知らなかったけど、このあたりすっかり観光地になってるんですね。それも昔の江戸風情を残しているからか、外国人観光客がものすごく多くてびっくりした。
本日の対談場所はふるかわ庵という、茶室風の料亭です。その対談のテーマから、毎回編集のU山さんが和のテイストの場所で探しておられる模様。
この日もおいしい料理を食べながら対談は大いに盛り上がった。
掲載媒体や対談していただいた先生方のお名前、詳細な記事の内容などは解禁となりましたらこちらにも書きますね。
6/2~6/3
先日取材した対談記事第1回目分のテープ起こしをする。およそ4時間半分である。が! 録音したファイルを聴きながらエディタで打ち込んでいくと、MS-IME の変換のあまりのヒドさにキレそうになってきた。いや、今さら MS-IME のヒドさに気がついたわけじゃないんだけど。
PC-9800互換機時代にパソコンを使い始めてまず使った日本語入力FEP(Front End Processor)は、管理工学研究所の松茸だった。その後、DOS/V の時代になっても依然、松茸を愛用。しかし Windows3.1 に移行して松茸が使えなくなり、以後は仕方なく MS-IME を使い続けてきた。
まぁ、松茸もそんなに賢いFEPだったわけではないので、MS-IME も文章を考えながら少しずつキーを打っている分には、それほど不便にも感じていなかった。しかし! テープ起こしで音声を聞きながら素早くタイピングしていると、その糞っぷりがどんどん際立ってくる。
例えば、良くある同音異義語の入力で「はし」と入力して「橋」に変換確定したとする。次に「はし」と入力して変換すると「橋」になると思ったら「端」になる。で、もう一回変換キーを押すと「橋」になる。つまりこの時点で1回余分なキー入力が必要となる。で、次に「はし」と入力して変換するとどっちになるか......この場合はなんと「橋」になる場合と「端」になる場合の両方があって、どっちになるかは変換してみないと分からないのだ。これではキーをたたくリズムが乱されるばかりだし、変換候補が通り過ぎてまたさらに変換し直さなければならなかったり......。あーもう!!
ということで、テープ起こしを中断してぼくはある重大な決断をした。そうなのだ、ここはもう変換効率がいいという噂の Atok を導入するしかない!!
ということで仕事を中断し、ジャストシステムのサイトからAtok2010試用版をダウンロードしてインストールし、今のキー配列に近くなるようにざっとカスタマイズをして使ってみた。するとこれがイイ!! 入力した内容から変換候補の優先順位をダイナミックに変えてくれるのと、すでに確定した文章も含めて、文章の前後関係から変換候補を出してくれるので、日常会話程度のボキャブラリーだったら、いくつもの変換候補から目指す漢字を選び出すという手間が、体感で MS-IME の5分の1くらいに減った!!
ということで、1時間ほど使ったところで、すぐに Atok2010 正規ダウンロード版を購入して再度インストール。その後、細かい部分までMS-IME時代のキー設定に限りなく近づくようにカスタマイズして現在も使用中である。
MS-IMEからの乗り換えによるマイナス面は、うちのパソコンのCPUパワーが低いからだとは思うが、キーを高速に入力すると、MS-IME よりも若干もたつく感じがすること。しかしそれを上回る変換精度で、入力はかなり快適になった。こんなことならもっと早くに乗り換えておくんだったなー。
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おまけ
先日千葉県の某所に出かけた際に立ち寄ったファミレスサイゼリヤ。そこのコーヒーベンダーに貼ってあった手描きの貼り紙を紹介しますね。これ、なんとコーヒーとミルクのミキシングの裏技なのだっ! んー、「裏技」と聞くと、かつて少年雑誌にファミコンの記事を書いていたころの習性が残っていて、ついついピクーンと反応してしまうんですよね~。ということで無断転載(笑)。ただし他のサイゼでこの技が使えるかどうかは保証の限りではございません。あしからず。

投稿者 黒沢哲哉 : 16:55 | コメント (0) | トラックバック
2010年4月27日
森村泰昌展観覧など
4/7
12:30、電車で八幡山へ。大宅文庫で資料調べをする。
17:00、電車で大久保へ移動。駅前の喫茶室ルノアールで、手塚治虫公式サイトのコラム『手塚マンガあの日あの時』のため、マンガ家の某氏を取材する。
4/8-13
小学館の学習まんが第1章を執筆。
4/12
11:30、なんだか真冬のように寒いけど電車で銀座へ。ソニービル1Fの喫茶店で手塚プロI藤さんと待ち合わせ。マンガ家の某氏とお会いして手塚治虫公式サイトのコラム『虫さんぽ』の取材をする。本当はこの日、同時に街歩きの取材も行なってしまう予定だったんだけど、あまりに冷たい雨が降っているのでそちらの取材は中止。早々に帰宅した。
4/15-16
手塚治虫公式サイトのコラム『手塚マンガあの日あの時』第10回の原稿を執筆。
4/20-22
「別冊漫画ゴラク」の『龍のおんな』第20話の原作を執筆。
4/23
11:30、電車で恵比寿へ。東京都写真美術館で友人N、Tと待ち合わせ、展覧会『森村泰昌 なにものかへのレクイエム-戦場の頂上の芸術』を見る。
実は先月、今回と同じメンバーで神保町で会食をした際に、この森村泰昌のことが話題に出て、「ちょうどいま恵比寿で展覧会をやっているので見に行こう」という話になったのだった。
森村泰昌というのは現代芸術家で、歴史上の人物や歴史的な決定的瞬間の写真などを、自分自身が演じることで表現するという人なのだ。つまりチェ・ゲバラとか、チャップリンの独裁者とか、浅沼稲次郎氏を右翼少年が刺殺した瞬間の写真とか、そんな人や映像を自分自身がメイクして自演し、背景とかにも凝ってこだわった写真や映像にして芸術してる人なのだった。
実はぼくはこの人のことを知らなくて(笑)今回初めて見たんだけど、誰でも思いつく俗っぽい発想もこれだけ徹底して突き詰めてやるとかなり面白いと思った。ただこれが芸術かどうかは賛否両論あるらしく、ぼくにもちょっと判断がつきかねたのだが......。
14:30、友人たちと別れてひとりで新宿へ。実は久々にデジカメを新調しようと思うのだ。最近、手塚治虫公式サイトのコラムやG-Diaryのコラムなど、自分で写真を撮る仕事が増えているのに、メインで使用しているデジカメは、何と10年前に買った、オリンパスの CAMEDIA C-2100UZ という210万画素しかない化石のような機種だったのだ。
それで、これまでにも何度か買い換えようと思って機種選びをしたこともあったんだけど、結局、まだ使えるからと買わずに今日まで来てしまったのだ。
しかし今回、とうとう辛抱できなくなって、本気で機種選定をしているところに富士フィルムから気になる新製品が発売されたので、がぜん買い気になったのだった。
その新製品とはFINEPIX HS10 という機種。コンパクトデジカメ(コンデジ)の上位機種だ。それと対抗の候補としてはニコンの新製品Nikon P100もチェックするつもりである。
で、まずは新宿東口の大ガード横にオープンしたばかりのヤマダ電機へ行ってみた。しかしここ、入り口を入ってデジカメ売り場のある2Fへエスカレーターを上がったら、その目の前が携帯電話売り場で、売り子の女の子たちが10人くらい並んで「いらっしゃーませー!!」と、あらん限りの声で絶叫しているので、耳がガンガンしてゆっくりカメラを選ぶどころじゃない。もーゲンナリしてしまい値段だけ確認して早々に退散する。
その後、西口へ回ってビックとヨドバシを見たが値段はどこも同じだったので、結局、一番落ち着いて品物が見られたヨドバシで、あれこれと手に取ってみた結果、当初の予定通り FINEPIX HS10 を49,800円+ポイント10%で購入したのだった。
ということで、上の画像が今回購入したHS10だ。さっそくいろいろ撮ってみた感じでは、やっぱりコンデジだな~と思う点もいくつかあったが、総合的には仕事にもプライベートにもかなり使える感じでした。詳しいレポートはまた後日、記載いたします。
それにしても、今まで使っていたオリンパスの CAMEDIA C-2100UZ は、10年前当時、定価が160,000円くらいで、購入価格がおよそ100,000円だった。それがいまやその半分の価格でコンデジのハイエンド機が買えてしまうんだから驚きです。
C-2100UZを購入したときの記事は↓こちら
OLYMPUS CAMEDIA C-2100 UZを購入(2000/09/28)
※新しいウィンドウが1枚開きます。
4/25
15:30、電車で上野へ。夕方から打ち合わせがあるんだけど、少し早めに出かけ、アメ横や上野公園を歩いてデジカメの試し撮りをする。
17:00、京成上野駅前へ戻って某社編集のIくんと待ち合わせ。昭和通りを渡ってコリアタウンの焼肉店へ行き、焼肉をつつきながら企画打ち合わせ。
Iくんの案内で行ったのはトトリというお店。テーブルも広くてお肉もなかなか美味でありました。
Iくんとは学生時代からの古い友人でもあるので、ぼくが「今は景気が悪いから収入が減った」とグチると「黒沢はセルフプロデュースが足りないんだよ!」などと、暖かい(?)励ましの(?)お言葉をたくさんいただきました(笑)。
投稿者 黒沢哲哉 : 01:12 | コメント (2) | トラックバック
2010年3月25日
大林宣彦監督の叙勲パーティなど
2/11-20
「別冊漫画ゴラク」の『龍のおんな』第18話の原作を執筆。
3/1
雑誌「G-Diary」の連載コラム『あの日の僕に帰りたい』の原稿を執筆。
3/4-10
昨年と一昨年に書き下ろしで刊行されたミリオン出版の『死刑囚の慟哭』と『死刑囚の絶叫』が、4月に合本されて再刊されることになった。そこに新たに1話、新作を追加で書き下ろすことになり、その原作を執筆する。
3/8
13:30、柴又駅で手塚プロ・プロデューサーのI藤さんと待ち合わせ。次回、手塚治虫公式サイトの連載コラム「虫さんぽ」第9回の取材で、今回は柴又を歩くのだ。手塚治虫と柴又の関係は!? という取材の内容は4月1日公開予定のコラムをお読みいただくとして、昨日までの雨も止み、天気も良く、なかなかの取材日和だった。
3/11-18
「別冊漫画ゴラク」の『龍のおんな』第19話の原作を執筆。
3/14-17
手塚治虫公式サイトの連載コラム『虫さんぽ』第9回の原稿を執筆。
3/16
17:00、珍しくネクタイをして家を出る。今日は新宿の京王プラザホテルでパーティがあるのだ。パーティのテーマは「大林宣彦監督の旭日小綬章受章記念」!
昨年秋の叙勲で監督が上記の章を受章されたのをお祝いして行なわれたもので、ぼくもお呼びいただいたのである。
大林監督とはもう10年以上ごぶさたしているので(映画館の舞台挨拶等で、遠くからお見かけはしているが)楽しみ!
18:00、会場に着いて受け付けをすると、「舞台で挨拶をお願いできますか?」と言われてしまった。ええ~~~っ!? ざっと見渡しただけでも、テレビや映画で見知っている芸能人や女優や監督や作家がザクザク居並ぶところで、ぼくがですか? と思ったが、大林監督の集まりなんだから断るわけにはいかないでしょう。
会場に入ると、映画評論家の野村正昭さんの姿を発見! 知らない人ばっかりだったらどうしよう、と思っていたのでホッとする。野村さんとは20年近く前、フィルムアート社から『ワンス・アポン・ア・タイム・イン尾道』という大林監督の尾道映画の単行本を共著で出したことがあるが、お会いするのはもう10数年ぶりである。
さらにしばらくすると、映画監督の小中和哉くんや手塚眞くんなども来てにぎやかになり、ひとり孤独に立ち尽くすという心配は杞憂となったのでした。
さて、モンダイの舞台挨拶であるが、これは大林監督のお考えで、できるだけ多くの人に挨拶をしてもらいたいということで、なんと100人くらいの人がステージに上がって挨拶をしたのだった。手塚くんや小中くんは「映画監督」として挨拶をし、ぼくは「ジャーナリストや評論家の皆さん」というカテゴリで、他の人5~6人の方と一緒にステージに上がった。そこで大林監督と恭子夫人と握手をし、1分ほどの祝辞を述べさせていただいたのだが、内容は緊張して覚えておりません。「大林監督の映画『HOUSE・ハウス』との出会いが、今の僕の原点です」みたいなことを言ったように思う。ホントは野村さんもここで一緒に挨拶をするはずだったんだけど、先に帰られてしまったようでした。
ちなみに手塚眞くんは、大林監督の映画『ねらわれた学園』にキテレツな高校生の役で出演していたから、舞台挨拶では久々にそのときの役柄の演技を再現していて場内の笑いを誘っていたのだった。
それにしても著名人が大挙して集まったとても華やかで豪華なパーティで、およそ400人の人が出席されていたという。大林監督、本当におめでとうございました!!
3/18-20
小学館から4月15日に創刊される新雑誌「GAKUMAN plus(ガクマンプラス)」で創刊号から2号連続で伝記マンガの原作を書かせていただいている。その第2号用の原作を執筆。
3/22-25
ミリオン出版の雑誌「ザ・タブー」の原稿を執筆。
投稿者 黒沢哲哉 : 20:29 | コメント (0) | トラックバック
2010年2月10日
竜馬の妻・お竜さんのお墓参り
2/9
朝9時半に家を出て車で新宿へ。「別冊漫画ゴラク」編集のT橋さんと、新宿西口のスバルビル前で待ち合わせ。
今日は神奈川県横須賀市にある、龍馬の妻・お竜さんのお墓へお墓参りに行くのだ。
お竜さんには「別冊漫画ゴラク」で連載中の『龍のおんな』で、勝手に主人公になっていただいているが、年末から年明けにかけてコミックス1、2巻が出たし、全3巻の予定で連載中の物語もいよいよ佳境に入ってきたこともあり、T橋さんと去年から「一度、ぜひお墓参りに行きましょう」と約束をしていたのだ。
ナビに案内されながら第三京浜→横浜横須賀道路と乗り継いで新宿からおよそ1時間半、お竜さんが眠る、神奈川県横須賀市大津町にある信楽寺(しんぎょうじ)に到着した。
狭い住宅街の路地の奥、小高い山がそのままお寺になっている。平日でもあり、ひっそりとして境内にはぼくら以外、誰もいなかった。
山門脇に建てられている説明看板。
本堂脇を左へ入った奥の小高い場所に立っているお竜さんのお墓。建立当時は山門を入ってすぐの右脇に建てられていたというが、平成10年にお寺が改修された際に現在の場所に移されたのだとか。墓碑銘は「贈正四位
墓前には龍馬ビールや、西郷と龍馬らしきフィギュアなども置かれていた。ぼくらも持参したコミックスとお花とお線香を供えてお祈りする。
事前に打ち合わせをしていたわけではないのに、ぼくは行きがけにお花を買ってきており、T橋さんは線香を買ってきていた。不思議!
以下、資料本からの要約。お竜が亡くなったのは明治39年(1906年)1月15日。だけどその晩年は不遇だったそうで、死後8年間はお墓もなかった。それが、高知の坂本龍馬の同輩・香川敬三などの寄付により、大正3年(1914年)8月16日にようやくこの墓碑が立った。建立者の名前としては、お竜の実妹・光枝の名が刻まれている。
![]() ©2010 INCRIMENT P CORP.
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投稿者 黒沢哲哉 : 00:08 | コメント (0) | トラックバック
2010年2月 7日
締め切り連チャンと真夜中の雪景色ドライブなど
1/17-19
今週はずっと「別冊漫画ゴラク」の『龍のおんな』第17話原作第1稿を執筆中。
1/20
手塚治虫公式サイトの連載コラム『虫さんぽ』第8回の取材。今回の目的地は練馬区富士見台の虫プロダクション界隈を散歩する。
朝8時半に現地に到着しなければいけないため、今回も前の晩から車で行ってコインパーキングで車中泊。
朝の取材を無事に終えて、午後からは案内をしてくださる元虫プロの作家さんや、手塚プロ担当編集I藤さんらと合流。無事に取材を終えた。
取材の中味については、このエントリーの一番下に掲載した外部リンク、手塚治虫公式サイト内の「虫さんぽ」でお読みください。
1/22-23
『龍のおんな』原作執筆を再開。
そして23日、まだ終わらないのだが、今日はどうしても夕方までに仕事をまとめなくちゃならないのだ。
と言ってたら何とか間に合って、すぐに外出のしたくをする。今日は柴又商店街の中の小さなレストランで、小学校時代の仲間とプチ同窓会があるのだ。およそ2年前の2007年11月に大きな同窓会がおよそ38年ぶりに開かれて、そのときは先生も招いて盛大にやったんだけど、今回は一部の人でこじんまりとやる、まぁ早い話が幼なじみの飲み会です(笑)。
集まったのは30人くらい。2年前の同窓会でホントに超久しぶりに再会した人も今回いっぱい出席していて、もう昔話はその時にしちゃったし、何を話そう......などと思っていたら、まあ、幼なじみというのは、何だかんだでくだらない話をしていれば間が持つもんですな(笑)。結局、二次会にも参加して帰宅したのは2時過ぎだった。
驚いたのは、この年になってつい1年前に結婚した人がひとり、近々結婚する人がひとり、もうじき結婚しそうな人がひとりいたこと。この歳になってみんな何が起こったんだ!?
1/24-25
小学館の学習図鑑の改訂原稿第2稿を執筆。メールで編集部へ送る。
1/25
電車で新宿都庁前へ。藤子プロで、先日お送りした資料に関して打ち合わせ。
午後、「別冊漫画ゴラク」副編集長のT橋さんに電話をし、週末にメールで送っておいた『龍のおんな』第17話の結果を聞くと、第1稿でOKとのこと。ムヒー、またひとつ仕事が終わった。しかし今月はまだ締め切りが残っているのだ。背筋がゾクゾクしてくるなぁ。
1/26
先日取材した『虫さんぽ』第8回の原稿を執筆。何とか1日で完成して編集部へ送るも、こちらは取材に協力してくださった方々にも読んでいただかなければならない。
手塚プロのI藤さんはかなり焦っておられる様子だ。しかし協力していただいたおひとりの方はメールもファックスもないというので、手塚プロからバイク便で原稿を届けてもらう。
その後、電話で返事をいただき、何とか間に合った。ふー。
1/26-28
ミリオン出版の新雑誌『ザ・タブー』の原稿を執筆。こちらも2日で終わらせる予定が3日かかってしまったが、何とか第1稿でOKとなった。しかし今月はまだ締め切りがあるのだーっ!!
1/29
小学館の学習図鑑の改訂原稿第2稿の続きを執筆。
1/30
午後まで前日の仕事の続きをやり、夕方、電車で池袋へ。今日は学生時代のワセダミステリクラブで同期だった友人が、ちょうど1年前に負った怪我がやっと治ったため、その快気祝いが行なわれたのだ。集まったのはミステリクラブ時代の同期や後輩などの仲間15人。気のおけない仲間との会話はいつでも楽しいものですね。ただし家に仕事を残していなければ!
2/1
夕方から急に冷え込み、ニュースでは今夜は雪とのこと。しかしちょっと外出する予定があったので、ついでに車でひと回りしてきた。最初のうちは大粒の雪がジャンジャン降っていても一向に積もる気配はなかったのだが、11時を過ぎたころから急に積もり出して、みるみるあたりは一面の雪景色となってしまった。東京で見る久々の雪景色はいいもんですね。
ただし翌朝起きたらもうほとんど雪は融けていて、何ともあっけない冬化粧ではありました。
今年初めてスタッドレスが活躍した(笑)。
雪は何気ない夜景も幻想的に変えてしまいます。
1/31-2/3
雑誌「G-Diary」のコラム『あの日の僕に帰りたい』第36回の原稿を執筆。例によって今回も、書きたいことが多すぎて内容の整理に手間取り、予定より1日遅れての完成となった。しかしこれでようやく1月中の締め切りが全部完了。え、もう2月だって!? 気にしないキニシナイ(笑)。
2/1
手塚治虫公式サイトの連載コラム『虫さんぽ』第8回が公開されました。無料で読めますので、下記リンクからぜひお立ち寄りください。
今回のテーマは『石津嵐さんと虫プロ界隈を歩く!』です。

参考リンク:
手塚治虫公式サイト
虫さんぽ第8回「練馬区富士見台・虫プロ界隈を石津嵐さんと歩く!!」の巻
※新しいウィンドウが1枚だけ開きます。
投稿者 黒沢哲哉 : 17:39 | コメント (0) | トラックバック
2010年1月17日
休みたい休みたい休み(ry
明けましておめでとうございます。って......うわ~~もう鏡開きも終わってとっくに下旬だよ~~~。ということで、あいかわらずマイペースで申し訳ない。どうか今年もよろしくお願いいたします。
今年の年賀状は[こちら]で公開中でございます。
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1/1
今年は年末からず~~~っと仕事が途切れないため、おせち料理も作らず鏡餅も飾らず、年越しで仕事をしてました。しくしくしく......。
と、昼過ぎ、我が家に来訪者が。近所の美人姉妹が年始のあいさつにやってきたのだ。って、実はお年玉をもらいに来たんだけどね(笑)。ということで、一緒にお雑煮を食べ(これだけは年末に材料を用意してあった)て、しばしお正月気分を味わう。
それと、やっぱり元旦は初詣にもいかなくちゃ。ということで、午後からぶらりと帝釈天へ。裏道を通って行ったのに、今年は天気がいいからか、去年の2倍くらいの混雑に感じられた。
帝釈天はごらんの混雑。でも、人ごみをかきわけて、しっかり単行本のヒット祈願をしてきましたよ。もちろん健康とかその他モロモロも。けど、財布の中を探ったら500円玉がなかったので今年は50円玉でカンベン!! 成就したら500円持ってくるから!!
帰宅後はすぐに倉庫にこもって、雑誌「G-Diary」のコラムに掲載する資料探しを行なう。
1/1~1/5
年末中にまとめるつもりだった小学館の学習まんがの原作が、年を越してしまい、あわてて執筆に集中。
1/3
手塚治虫公式サイトのコラム『手塚マンガあの日あの時』第8回が公開されました。下記の手塚治虫公式サイトで無料で読めますので、お時間がありましたらぜひご覧くださいね!

手塚治虫公式サイト『手塚治虫.net』
※新しいウィンドウが1枚だけ開きます。
1/4
原作の仕事を中断し、雑誌「G-Diary」の連載コラム『あの日の僕に帰りたい』第35回の原稿を執筆。資料は元旦に揃えてあったから、あとは書くだけなんだけど、書きたいことが山ほどあって分量内に納まりきらず、内容をかなり削らざるを得なかったのが惜しい。また切り口を変えて別の場所に書くかなぁ。
1/5-1/6
昨年秋に某プロダクションから依頼されていた昔の取材記録の再整理を行なう。10年以上前に取材した際に録音した録音テープを聞こうと思ったら、我が家にはすでにカセットテープレコーダーがないことが判明。友人からラジカセを借りての作業となった。他のテープも今のうちにデジタル化しておかないといけないかなー。
と、思いつつそういうコトってやらないんだよねー。どうしても。
パソコンのMOドライブも、Windows3.1の時代のハードだから、すでに今のOSに対応してないので読み出せないし、MS-DOS時代のフロッピーディスクも何百枚もあるけど、すでにドライブが故障したままだし。
1/7
高砂駅前の喫茶店白十字で、小学館F田さんと、今年最初の打ち合わせ。先日メールで送っておいた小学館の学習まんがの原作第1稿の打ち合わせ。細かい部分での修正を依頼される。
1/8-1/9
小学館の学習まんがの改訂第2稿を執筆。夜、完成した原稿をF田さん宛てにメールで送る。
1/11
小学館F田さんから電話があり、第2稿でOKとのこと。これで年末からの懸案だった原稿がまたひとつ終わった。ふー。
11-13
小学館の学習図鑑の原稿を執筆。予定では13日までに全部書き上げるつもりが、あと1見開きが終わらず、時間切れ。ヒー。どうしよう。どこでその時間を割けばいいのか......。
1/14
明日の打ち合わせのための資料を読む。しかし、書き残してしまった昨日の学習図鑑の原稿が気になって身が入らない。どっちつかずで不安だけがつのっていく。
1/15
14:00、電車で高田馬場へ。手塚プロで、プロデューサーのI藤さんと、手塚治虫公式サイトのコラム『虫さんぽ』の次回打ち合わせ。
17:30、電車で新宿へ移動。次の打ち合わせまで少し時間があったので、去年行った東口のウェンディーズの跡地を見に行った。
看板が真っ白になって、シャッターにはそっけないあいさつ文の書かれた紙が貼ってあった。
店の前で、そのあいさつ文を読むおじさんの姿とシャッターの落書きがわびしい。あー、これでもう本当にあのチリは食べられなくなってしまったんだなぁ。
18:00、中村屋地下の喫茶店マ・シェーズで、ミリオン出版編集長T根氏と待ち合わせ。同社の新雑誌『ザ・タブー』創刊第2号の原作のための企画打ち合わせ&取材を行なう。以前のA5判変形サイズだった『ナックルズ撃』が、昨年末に判型をAB判に変え、世の中のタブーをあばくマンガに特化した雑誌になった。リーマンショック以後、それまで絶好調だった実話マンガ誌も一時の勢いはなくなってしまったというが、それでもまだ絶不調の他誌よりは救われている状況だという。ここはひとつ、何とかそこからまた脱け出して、かつての10万部雑誌に復活してもらいたいものである。ぼくの印税のためにもぜひ(笑)!!
1/16
朝起きてすぐに「別冊漫画ゴラク」の『龍のおんな』第17話の原作を執筆中......。
と、昼過ぎ、いきなり我が家のドアをたたく音が。室内から「誰ですか?」と言うと「Kです!」という野太い男性の声が。さては知人を装ってドアを開けさせる魂胆の新聞勧誘だなっ!! と思ったら、そうではなくて、高校時代の友人のKくんだった(笑)。Kくんは、今日は休みでバイクで近くを通ったから寄ってみたのだという。Kくんには、つい先日書き上げたG-Diaryの原稿の取材で、昨年久々にお会いして世話になっていて、やっとその原稿を書き上げたところだったので、雑誌が出た段階でこちらからも連絡をするつもりだったんだけどね。ということで、仕事を中断してジョナサンへ行き、しばし歓談。Kは相変わらずバイクと車を趣味としてエンジョイしているそうで、話を聞いているとぼくもどこかへ出かけたくなってワクワクしてくる。しかしここは目先の仕事が終わるまではガマンしないと。
ということで、1時間ほど話をして別れ、ぼくは再び仕事へ戻りましたとさ。シクシクシク。
ところで、黒沢はこんなに仕事ばかりしててよっぽど稼いでいるんだろうなぁ、と思ってらっしゃる皆さん! 確かに、ありがたいことにお仕事はいろいろな方面からたくさんいただいておりますが、昨今の出版不況の中で、雑誌の原稿料は下がり続け、本が売れないために印税も激減し、かといって仕事のクオリティを落とせるわけもなく、もうかれこれ3年以上ワーキングプア状態が続いております。現状維持がギリギリで、これ以上、原稿料が下がると、米も味噌も醤油も買えなくなってしまいます。何とかしてこの状況を打開できないものか。日々思案してるんですけどね~~~っ。
投稿者 黒沢哲哉 : 22:25 | コメント (2) | トラックバック
2009年12月31日
さらばウェンディーズ&チリ
地獄の年末進行と、52歳の誕生日、ウェンディーズ閉店、涙のラストチリなどなど。
12/11
ツィッター始めてみました。手塚プロのI藤さんとの打ち合わせの席で話題になって、「ぜひやってみてくださよ!」としきりに薦めるので、どんなものか試してみようかなと。このブログのトップページの右上にアイコン貼ってあります。けど、まだうまく使い方が分からず、あまりハマらなそうだなぁ(笑)。
12/15
小学館の学習図鑑の仕事が年末の仕事納めを控えて巻きに入ってきた。企業やプロダクションに電話をしまくり、企画書を送り、写真の借用をお願いする。
インターネットが普及している今ではほとんどの会社が写真をメールで送ってくれるが、会社によっては「こちらまで来て選んでください」とか「紙焼き写真を手渡ししますので取りに来てください」というところがあるのだ。
14:00、電車で麹町へ。A社で写真のセレクトをする。
16:00、電車で西新宿へ。B社で写真とイラスト原画をお借りする。
17:00、この日はあとは帰宅するだけなので、ある目的を果たすために、少し距離があるけど、徒歩で新宿南口をぐる~っと回って東口へと向かう。
向かった先は、そう! ハンバーガーショップウェンディーズである!!
つい先日、親会社のゼンショーがいきなり年内閉店を発表。ネットの掲示板に激震が走った。かくいうぼくもジャンクフードの中ではいちばん好きだったのにぃ。ウェンディーズのハンバーガーは、マックやロッテリアよりは若干値段が高いけどパティがジューシーで厚切りのトマトが美味しかったのだ。
そして、何といってもウェンディーズといえばチリ!! 挽き肉と豆をトマトソースで煮たものにスパイシーなホットチリソースをかけて食べるチリはウェンディーズの定番メニューだったのに、これがもう食べられなくなってしまうなんて(涙)(涙)(涙)。
まぁ、そう言いつつも最近はあまりウェンディーズにも立ち寄らなくなっていたんですけどね。
西新宿から歩くこと15分、新宿東口のウェンディーズに到着した。レジは3箇所開いていたが、それぞれに10人以上の行列が出来ていた。ただ店内の席は空席もたっぷりあって空いており、やはり駆け込み需要で急にお客が増えてレジがさばききれていないだけのようだ。ちょっぴり憐れみを誘う状態。
ということで待つこと数分。ウェンディーズチーズバーガーとチリを注文。久々に来たからメニューのシステムが変わっていて驚いた。今はトッピングのチーズとオニオンは選べなくなってしまったんですね。代わりにポテトにもかけられるチーズソースがあったのでそれをセレクトした。
んー、ひさびさに食べるこの味。確か昔はピーマンは入っていなかったと思うんだけど、今はみじん切りにしたピーマンも入っていた。あと豆は赤福豆だけでなくて大豆も使用している。
しかし味は昔と変わらずやっぱりこの味ですよ。さようならウェンディーズのチリ。
ちなみにうちのブログで、検索でもっともアクセスが多いページが、2年前に書いたウェンディーズ風のチリをおうちで作ってみたときのエントリー(下記)。こんなにウェンディーズのチリを愛している人がいるのにこの味をなくしてしまっていいのかああっ!?
2008年1月24日のエントリー:チリビーンズの作り方
※新しいウィンドウが1枚だけ開きます。
12/18
日本文芸社からコミックス『龍のおんな』第2巻が発売。我が家にも見本が届いた。
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先月の第1巻と今月の第2巻で2か月連続発売。これはもちろん、来年のNHK大河ドラマ『龍馬伝』のヒットに期待しての戦略的発行である(笑)。
12/19
年末進行のあわただしさの中、52歳の誕生日を迎えた。
土曜日だったので、近所に住む幼なじみの美人姉妹が手作りのバースデーカードを持ってお祝いにかけつけてくれた。そこで一緒に近所のケーキ屋さんへケーキを買い出しに行き、お祝いをしてもらった。
買ったのは新柴又駅近くにある超人気のケーキ店ビスキュイのいちごたっぷりストロベリーデコレーションケーキ。ちょうどクリスマスが近いこともあって店内はお客さんでごった返していた。
しかしここのケーキは生クリームがふわっふわでスーッと鼻に抜ける香りが抜群に良く、一度食べると止まらなくなるおいしさなのだ。
ということで食べ始めたら猛然と食べ、このデコレーションケーキを3人であっという間に平らげてしまった。その後、ぼくはひとり寂しく仕事に戻りましたとさ。とんとかいも。
深夜12:00、誕生日にあまりガシガシ仕事をするのもアレな気がしてきたので、仕事を放棄して深夜のドライブへ。三郷から常磐道に乗ってあてもなく北上し、途中のパーキングエリアに立ち寄ったら、立ち木がライトアップされていてとてもきれいだった。うむ、こんな誕生日もなかなか良いものです。
12/21
な、何と年末のこの時期に狙いすましたようにプリンターが故障。そんなばかなー!! と思ってあれこれやってみても結局作動せず。大急ぎで近所のコジマへ行き、目に付いたプリンターを速攻で購入する。買ったのはエプソンの新製品、カラリオEP-302。
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スキャナーは単体で持っているから最近の多機能プリンターは必要なく、シンプルでそこそこの性能を持ったものを選んだらコレになった。本当はエプソンはインクが目詰まりしやすいという評判で、確かにしばらく使っていないとヘッドクリーニングばかりしていてインクがドンドン減っていく。
なので次はキヤノンを買ってみるつもりだったんだけど、すぐに使う必要があったので、各種設定に時間を取られているヒマがなく、またエプソンを選んでしまった。うう。
値段はコジマで14000円ほど。しかし何と最初に装着されているインクはハーフサイズで半分の容量しか入っていないのだという。結局、6000円近いインクセットも購入。5年間のショップ保証にも入ったら結局2万円ちょっとになってしまった。
さて設置して印刷した感想は。これまで使用していたエプソンのカラリオPM-G700との比較では、EP-302の方が作動音が若干高音で耳につく感じがする。しかし印刷スピードはかなり速くなっており、特に後述する年賀状のカラー印刷ではかなりの時間短縮になった。
PM-G700とくらべて機能的に劣ってしまった部分は、PM-G700では名刺サイズの紙が印刷できたのだが、EP-302はカードサイズが最小で名刺印刷ができなくなってしまったこと。ただし印刷後にカットするA4サイズの名刺用紙は使用できる。
あとCDやDVDへの印刷では、EP-302の場合、排紙トレーをいちいち取り外してCD・DVD用の位置に差し替えなければいけないこと。
そして、ものすごくウザくなったのがプリンタドライバソフトである。市販の互換インクを使わせたくないから、インストール中にもやたらと「純正インク」を使用するよう強要するメッセージが出たり、印刷経過の表示ウインドウやインク切れ通知ウインドウにはオンラインでインクを購入するボタンなどというものがデカデカと表示される(しかもウインドウ全体との統一感を全く考慮していない下品な黄色いボタン!)。
あーもう! いいかげんプリンタ本体をタダ同然の激安で投げ売りしてその分をバカ高いプリンタインクで儲けようとする商法はやめてくんないかな!!
ちなみに壊れたPM-G700は、廃品回収の軽トラックに、壊れたDVDプレーヤーと込みで800円で持っていってもらった。
12/21-24
「別冊漫画ゴラク」連載中の『龍のおんな』第16話の原作を執筆。今月はかなり遅れてしまったが、編集担当T橋さんの方も忙しいのか、さいそくの連絡がないのをいいことに、いよいよ延ばせないところまでやってきた。
ということで、他の仕事を中断してこの原作に集中。5日でようやく完成した。
12/25
16:00、電車で神保町へ。いつもの喫茶店古瀬戸で「別冊漫画ゴラク」編集のT橋さんと次回打ち合わせ。
18:00、電車で新宿へ。京王プラザホテルで開かれた手塚プロの忘年会に出席する。代表の手塚眞くんは、多くのお客さんへのあいさつがあったので、ちょっと話しただけで、あとは学生時代からの友人で脚本家のK林くんやY村さんらとずっと歓談していた。
しかし今年はビンゴ大会用にスポンサーから提供された景品が山盛りで、何と2時間半のパーティ時間のほとんどがビンゴ大会に費やされていた。おかげで会話をしていてもビンゴが気になって気になって(笑)。結局、話し足りなかったので、パーティの後、3人で近くのスタバに入り、お茶をして帰りました。あ、ちなみにビンゴは今年も何も当りませんでした。うう......。
12/26-28
年賀状を作成。今年の作成枚数は去年と同じ300枚。買ったばかりの新品プリンターで印刷も快調快調! 内容はお楽しみに!!
12/29-31
仕事納めの28日に向けて連日、ジャンジャンかかってきていた電話とバンバン届いていたメールもピタッと止まり、ときたまかかってくるのは、年明けに開催される小学校の同窓会の連絡だとか、そういうプライベートなものばかり。
静かな中で原稿書きに集中......と思ったのだが、年末ともなると何かと雑用があって、灯油を買いにいったり、銀行へ家賃を振り込みにいったり、あーーもう!! 落ち着いて仕事をさせてくれーーーーっ!!
投稿者 黒沢哲哉 : 20:17 | コメント (0) | トラックバック
2009年12月11日
展覧会めぐりとバングラデッシュ料理
11/25-26
ミリオン出版の原作第1稿を執筆。メールで編集部へ原稿を送ると、折り返し、T根編集長から電話があり、全体に情報が整理されていかなった部分を鋭く指摘されてしまった。それで数日時間をいただき、第2稿を書くことになった。
11/30
雑誌「G-Diary」のコラム『あの日の僕に帰りたい』第34回の原稿を執筆。しかし物置にあるハズの資料がまたまた見つからず、途中、仕事を中断して大捜索を行なう。結局、2時間の捜索の末、探していた資料とともに、別の探し物も見つかった(汗)。
昔は、物をなくして探すなんてことはめったになかったんだけど、最近は、つい先日買ったばかりの本が見つからずにあちこち探したりすることもあって情けない。
12/01
ミリオン出版の原作第2稿を執筆。本当は月曜締め切りだったんだけど、1日遅れてようやく第2稿が完成。メールで編集部へ送る。
編集長T根さんから電話があり、これでOKとのこと。何とか間に合った。
12/05
12:00、電車で本郷三丁目へ。学生時代の友人で出版社編集のI沢くんと待ち合わせ。文京ふるさと歴史館で明日まで開催の『実録!"漫画少年"誌 -昭和の名編集者・加藤謙一伝- 』展を見学する。本当は仕事が忙しかったので「行けないかな~」と思っていたんだけど、I沢くんから電話をもらい、その話の流れで行くことになったのだ。
初めて来たけど、こじんまりとしていて静かでなかなかいい建物だった。
展示の方は、テーマである漫画少年とその編集長・加藤謙一のみでなく、文京区の出版社の系譜とか、現在に続くマンガブームの流れなども概観されていて興味深かった。
展示品には「当館蔵」とクレジットされているものも多く、マンガ関連の資料の収集にも力を入れていることが分かる。
その後、I沢くんと一緒に電車で池袋へ移動。イタリアンレストランでピザとパスタの遅い昼食を食べて、今度は豊島区立郷土資料館へ。こちらも明日まで開催の『トキワ荘のヒーローたち』展を見る。ぼくはオープニングの日にすでに見ていたが、あのときはあわただしくてじっくり見られなかったので、こちらも落ち着いて見られてよかった。
14:00過ぎ、郷土資料館を出て徒歩で椎名町へ向かう。このあたりまでは曇り空だったのだが、歩いているうちに天気予報どおり雨が降り出し、椎名町駅に着いたころには本降りの雨となっていた。
雨の中、南長崎の元トキワ荘周辺を散策する。元トキワ荘の斜め前には赤塚不二夫がトキワ荘を出て新たに借りたという紫雲荘というアパートが当時のままに残されている。
そしてここも、今回のトキワ荘展と連動して、かつて赤塚不二夫が暮らした部屋が、事前予約制で一般公開されていたのだ。ぼくとI沢くんは予約していなかったんだけど、前を通りかかってもの欲しそうな顔をしていたら(?)、紫雲荘前に立っていた案内の人が「いま予約された方が遅れていて空いてますので、よろしかったらどうぞ」といって特別に入らせてくれた。ぼくは取材のときも入っているんだけど、今回は人が少なくてゆっくり見られたし、I沢くんは初めてだったのでラッキーでした。
そして南長崎花咲公園にある「トキワ荘のヒーローたち」記念碑へ。あれ? 何だか雰囲気が変わっているゾ、と思ったら記念碑の横に街灯が建っていた。後日、以前、取材の際にお世話になった地元商店街のK出さんに電話でお聞きしたら、今回のイベントに合わせて10月に新たに建てたのだそうだ。
しかしただ照明を付けても面白くないので、ということで、ご覧のとおり、トキワ荘の住所看板の付いた裸電球の街灯になった。これはgoodアイデアですね!!
別の角度から。電柱の追加で、トキワ荘の記念碑にもリアリティが増したような気がします。
その後、雨の中、ふたたび徒歩でこんどは目白まで歩く。目白駅前の紀子さまがよく通ったという喫茶店に入り、お茶をする。回りは山の手のおばさまたちばかりで、男二人のグループは何となく浮いているがまあ気にしない(笑)。
ここでI沢くんと別れて帰宅。
12/07
手塚治虫公式サイトのコラム『手塚マンガあの日あの時』第7回の原稿を執筆。
12/08
15:00、電車で神保町へ。小学館クリエイティブ編集のT森さんと学習図鑑打ち合わせ。こちらも何だかんだあって遅れぎみだ。T森さんから、「年末が近づいているので、なるべく巻きで資料集めお願いします」と言われた。はい......。
12/09
10:00、愛車ボンゴフレンディをいつもの関東マツダ葛飾青戸店へ持ち込み、車検をお願いする。こちらについては後日、整備手帳で詳述します。
12/10
15:00、電車で高田馬場へ。手塚プロでプロデューサーのI藤さんと手塚治虫公式ホームページの企画打ち合わせ。読者参加型の企画を強めたいということでアイデアを出し合う。
その打ち合わせの中で Twitter の話になり、I藤さんはTwitterにハマっているんだそうで、「黒沢さんもぜひやってみてくださいよ!」と薦められた。んー、でも mixi もそんなにハマてないしなぁ......と最初はあんまり乗り気じゃなかったんだけど、やってみないことには面白いかどうかも分からないから、とりあえずやってみることにする、と返事した。
手塚プロを出て電車で東銀座へ。昭和通沿いの喫茶室ルノアールで、いそっぷ社社長S藤さんと待ち合わせ。先日、電話で話をした際に、年の瀬のあいさつがてら食事でもしましょう、という約束をしていたのだ。
ルノアールで近況交換をした後、S藤さんの案内で行ったのはバングラデッシュ料理のお店。バングラデッシュ料理というのを食べたのは初めてかも知れないけど、だいたい皆さんが想像つくとおりインド料理に近い感じ。だけどナンのように窯で焼いた平たい円盤状のパンは韓国のチヂミのようにモチモチしていたり、カレーのスパイスもインド料理とは微妙に違っていて興味深かった。バングラデッシュ料理、なかなかイイです!!
そして、中でもとりわけ感動したのがこのシェマイという料理。そうめんのような細い麺を牛乳で煮たものなんだというが、な、なんとその風味が、昔給食で出た脱脂粉乳のミルクの香りそのままなのだ!! うわー、あの香りにこんなところで再会できるとは~~~っ!! 実は食べてるときは、すぐに何の香りに似てるのかが思い出せず、「この香り、どこかで嗅いだ気がするんですよ~」と言ってたんだけど、後から「そうだ! アレは脱脂粉乳ミルクの匂いだったんだ!!」と思い出したのだった。
シェマイ! 脱脂粉乳世代の皆さんバングラデッシュ料理を食べる機会があったときは、ぜひ注文してみてください。懐かしさで涙がちょちょぎれますょ!! シェマイ!!
投稿者 黒沢哲哉 : 18:14 | コメント (0) | トラックバック







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