『蝶々夫人』 (1955年 日本・イタリア合作作品)

原題/Madame Butterfly
製作/ギドー・ルッツアート、森岩雄、川喜多長政
監督/カルミネ・ガローネ
脚本/カルミネ・ガローネ、森岩雄
原作/プッチーニ
撮影/クロード・ルノアール
指揮/オリヴィエロ・デ・ファブリティース
美術/三林亮太郎、マリオ・ガルブリア
出演/八千草薫、ニコラ・フィラクリディ、田中路子、フェルディナンド・リドンニ、中村哲、高木清、小杉義男
カラー スタンダードサイズ 114分
 有名なオペラを日・伊合作で製作。戦艦ワシントン号で長崎にやってきたアメリカの海軍士官ピンカートン(フィラグリディ)は、芸者の蝶々(八千草)を見染め、周囲の反対を押し切って結婚をする。港が見降ろせる丘の上に邸宅を構え、ふたりの新しい生活が始まった。ところがその幸せは長くは続かず、ピンカートンは間もなく帰国することになる。後に残された蝶々は、女中の鈴木(田中)と共に、彼の帰りを待ち焦がれるつらい日々を過ごすことになる。
 オールセットで描かれる人工的な邸宅の庭、街並み、港、そして日本の四季。それらがまるで桃源郷のような不思議な虚構空間を創出している。日本とイタリアどちらの国で撮影されたのかはわからないが、クレジットによれば日本の東宝映画のスタッフが多数入っているようだから、これはよくある誤解した日本の描写というわけではないだろう。その証拠に、小道具などにおかしなものが出てくる場面はひとつもない。つまり、あえてお伽話のような、舞台美術のような、様式美を狙ったものなのである。
 小道具といえば、あるシーンで、座敷の畳が本物じゃなくてゴザを敷いて釘で留めてあるように見えた。これはもしかしたらイタリアで撮影したために本物の畳が用意できなかったからかもしれない。未確認だけどね。
 さらにこの様式美を際立たせているのが退色のないテクニカラーの画面だ。映像はもちろんこのテクニカラーを意識して、着物の女性がずらりと並んだり、咲き乱れる桜の花をとらえたりと極彩色に満ちている。
 そして何といってもこのテクニカラー画面に映えるのは八千草薫のピンク色の頬である。1931年1月生まれの彼女はこの映画の公開時(1955年6月3日)にはまだ24歳になったばかり。映画の設定では、最初は15歳として出てくる。それにはちょっと無理があったけど、そんなことで彼女の美しさの価値が損なわれるものではまったくない。もう見てるだけでウットリなのである。
 歳をとっても美しい女優さんはたくさんいるけど、歳をとっても可愛い女優さんは少ない。八千草薫はそんな数少ない女優さんだよね。『ガス人間第一号』(1960年、八千草薫29歳、ぼく3歳)を見て彼女に恋をして、TVドラマ『岸辺のアルバム』(1977年、八千草薫46歳、ぼく19歳)のときに、彼女への想いが少しも衰えていないことを確かめた。
 マスコミでよく“結婚したい女優ランキング”が発表されるけど、ぼくにとってのオールタイム結婚したい女優 No.1 はダンゼン八千草薫なのである!! こんなこと力説してもしょうがないけど(照)。
 それから、エンドクレジットを見ていて、助監督のところに、後に女性映画の巨匠となる増村保造の名前があったので、いちおうデータとして書き留めておきますね。

(1999/06/27)


※追記※
 上の文章の中で、この映画はイタリアで撮影されたのだろうか、と憶測で書いたら、その後、この映画をテレビで見た友人から「エンドクレジットの中にイタリアのスタジオ名が書かれていたようだから、やはりイタリアで撮影したんじゃないだろうか」というお教えをいただいた。

 また、さらにそれからずっと後、1999年10月13日の「徹子の部屋」に八千草薫がゲストで出演した際に、彼女本人の口から、やはりこの映画の撮影がイタリアでおこなわれていたということを確認することできた。当時、イタリアへ行くのは大旅行であり、何と寝台付きのプロペラ機に乗って南回りで2日もかかったという。
 また、彼女が歌うオペラは吹き替えだとばかり思っていたのだが、これも本人が歌っていたということで、歌がうまく覚えられなかった彼女はヒステリーを起こし、発作的に自分の髪の毛をメチャクチャに切ってしまったことがあるという。そして番組では、宝塚の女優さんたちと一緒に写ったザンバラ髪の彼女の写真も紹介されていた。
 いやぁ、こんな話を聞くと、八千草薫さん、ますます好きになってしまいますね。


※ブラウザの[戻る]または[Back]ボタンで戻ってください。