7/8
小学館版『ジュニア版日本の歴史』連動企画として、小学館のWebで公開予定の歴史家vsマンガ家対談第1回分の原稿が完成。メールで担当U山さん宛てに送る。第1回だからみんなの反応が心配だったけど、U山さんからも対談した先生方からも好評でホッとした。公開は8月上旬の予定で、すでにデザインも完成しているんだけど、本の発売時期との連動をにらんで遅れているようです。公開されたらURLも紹介しますね。
7月上旬
集英社の児童向け学習マンガ単行本の原作の仕事が遅れ気味だ。というかほとんど手が着いていない。今月20日締め切りなのに!
密かに締め切りは1回くらい延ばしてもらえるんじゃないかと、甘い考えでいたのだが、編集のI澤くんに電話をしてみると......「来月上旬まで締め切りを延ばして欲しい? それは厳しいな。マンガ家ももう待ってるから」と一言の元に却下されてしまった。
それでも頼み込んで、ようやく今月いっぱい時間をもらった。
さぁ、忙しいゾ!
ということで、大車輪で構成をまとめ、プロットを作成し、原作に取りかかる。
7/20
ぼくが昭和のおもちゃコレクションを貸し出し、その図版を使用した友人の本『学研ビジュアル新書 昭和子どもブーム』がようやく刊行となり、我が家にも見本の本が届いた。著者はミステリクラブ後輩の大崎悌造くん。昭和時代の人気ヒーローの思い出を、時代ごとの「ブーム」という切り口で振り返った本である。昭和30年代初めの『月光仮面』から、『レインボーマン』とか『ミラーマン』などの第2次特撮ブームごろまでのヒーローの話題と懐かしいおもちゃの図版が満載されている。当初は3月ごろ刊行予定だったとのことで、話はそのころから少しずつ進んでいたのだが、著作権申請に手間取ってこの時期になってしまったのだとか。
ということで、店頭で目にされたらぜひお手にとって見てやってくださいませ。
| 昭和子どもブーム (学研ビジュアル新書) | |
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8/1
7月いっぱいまで締め切りを延ばしてもらった集英社の学習マンガの原作第1稿が、1日おくれでようやく完成した。編集のI澤くんからは、若干の修正を言われたが、大改革ではないので数日で直せそう。ふー、よかった。
ただ、こちらは本名ではなくペンネームで出すつもりなので、考えて提示したペンネームに対して、I澤くんから手厳しい批評が。「この名前じゃそっけない感じがして子どもが親しみを持ってくれない。そもそも名前のような気がしない」などとさんざんな言われようで、「黒沢がどうしてもこのペンネームがいいというなら仕方ないが、そうでなければ考え直した方がいい」とまで。シクシクシク。けっこうがんばって考えたペンネームだったのに~~~。ということで、新しいペンネームを考えた。これでNGは出させないぞ!
新ペンネームの方は、いずれ機会があれば発表すると言うことで、ボツになったペンネームをここで大公開しちゃいます。そのペンネームとは......
岬 十二月
いいでしょ!? どうよ、自信作だよ。戸井十月氏の名前からヒントを得て、12月生まれだから十二月にして。その十二月と語呂の合う名字を付けようと、あれこれ言葉をくっつけてみて、いちばんぴったりする岬をくっつけた。
それで岬 十二月。えー、だめー? かっこいいのに岬 十二月。あれ、でも連呼しているうちに、なんかダサイような気もしてきた。うーん、やっぱだめかぁ。誰か使ってもいいよ、この名前(笑)。
8/1-8/6
昨年に引き続き、今年も柴又の友人T村さん一家が九州へ帰省するので、その間、愛犬のコジロー(ロングコートチワワ)とブン(キャバリア・キング・チャールズ・スパニエル)の世話を頼まれた。
午前中にエサと水をやり、夕方に約30分の散歩。最近はたまにしか会わないが、それでも2匹ともちゃんとぼくのことを覚えていて、しっかりなついてくれている。また今年は、T村さんの娘さんの幼なじみで、わが家の隣に住む18歳のアルバイターSくんも散歩を手伝ってくれた。コジロー(左)は、数年前まではこのSくんを見ると猛然と吠えかかり、うっかりすると噛みついていたので、Sくんも始めは激しくビビっていたが、今年は少しおとなしくなったようだ。でもカメラに向かって微笑みつつも、Sくんはまだかなり腰が引けているようだ(笑)。
8/3
14:00、電車で池袋へ。サンシャインプリンスホテルのロビーラウンジで、手塚治虫公式サイトの連載コラム『手塚マンガあの日あの時』取材。今回のテーマである『三つ目がとおる』の連載が始まったころのお話を、当時の担当編集者の方にお会いしてお聞きする。とても情熱的な方で、お話も非常に面白かった。短いコラムの中で一部しか使わないのはもったいないほどの貴重なお話がいろいろ聞けたので、ぜひいずれ別の機会にも紹介したいなぁ。
8/7
13:30、電車で川越へ。今日は小学館のWeb企画歴史家とマンガ家の対談第4回目の取材があるのだ。編集のU山氏とは川越駅前で15:00の予定だったんだけど、川越に来るのは久々なので、ちょっと町歩きをしてみようとおもって早めに付いたのだ......が、しかし暑い、暑すぎる!! ということで駅周辺を歩いたらもうバテてしまったので、蔵の街の散策はあきらめて、駅ビル内のブックファーストで立ち読みをして時間をつぶす。だめじゃん!
と、そうこうしているうちに待ち合わせ時間になったので駅の改札前へ移動する。が、時間を過ぎてもU山さんが現れない。どうしたんだろう......と携帯に電話を入れてみると、何ともうむこうももう駅前にいると言うではないか。おかしいなぁ、と思ってあたりを見回すが、どこにも見当たらない。もしやと思い、こう聞いてみる「ぼく、いま川越駅にいるんですけど......ここでいーんですよね?」するとU山さん「違いますよ黒沢さん、川越駅じゃなくて川越市駅です!」ズガーン、何と待ち合わせは隣の駅だった。
結局、U山さんには先に現地へ行ってもらうことにして、ぼくもすぐに後を追って出発する。
あらかじめプリントアウトして持ってきた取材場所の料亭の地図を見ると、川越駅からでも歩いていける感じだ。じゃあ時間はまだ余裕あるし、徒歩で行くか! と歩き出した。が、そこで思い出した。今日は暑かったんだ......。日陰もほとんどない直線路をおろおろと歩く。歩く。歩く。水筒に入れてきた麦茶はとっくになくなっている。そしてようやく現地に到着したのだが、、、うー、取材前に死んだ。バタッ!
結局、取材はとどこおりなく終わり、おいしい料理もいただいて、大変楽しく充実した1日でした。暑くなければ。
8/10
14:00、電車で神保町へ。小学館クリエイティブで書籍担当のK村さんとコラム企画の打ち合わせ。
14:30、つづいて同じく小学館クリエイティブのT森さんと小学館の学習図鑑企画打ち合わせ。
途中、編集部内の廊下で、以前、『三丁目の夕日』のムックや『はとバス』の社史でお世話になったI田編集長とすれ違い、「ブログ更新してないね!」と言われる。確かに(笑)。なのでこうして焦って更新することに。。。更新チェックに来てくださっている皆さん、毎度申し訳ないです。
その後、17:00から集英社の児童書編集のI澤くんと打ち合わせの予定だが、少し時間があるから古本屋でも冷やかすか......と思ったらそこでハッと気付いた。
今日、I澤くんに返却しなければいけない資料を持ってくるのを忘れたのだ!! 一瞬、急ぐものではないから後で郵便で送ればいいか、とも思ったのだが、何となく返すのを忘れたのではかっこがつかない。ということで、急いで電車でいったん帰宅。I澤くんに少し遅れる旨のメールを打って、すぐに返却資料を袋に詰め、今度は車に飛び乗って再び神保町へ。
予定の17:00に15分ほど遅れて到着。無事に打ち合わせは行われたのだった。ふー。
8/11
手塚治虫公式サイトのコラム『手塚マンガあの日あの時』第12回の原稿を執筆。今回のテーマは先ほども触れたとおり『三つ目がとおる』誕生のあの時に迫ります。今回の原稿は、あまり悩むこともなくすんなり完成した。公開は9/1の予定です。
8/12
本当は連休の前後にやるべきことが山盛りなんだけど、近所の友人YちゃんとKちゃんから映画に誘われた。よく考えたらここ数日、ほとんど休んでない。そこで気分転換に誘いに乗ることにした。
車で向かったのは、ここもひさびさに来た、サティ市川妙典店の中にあるワーナーマイカルシネマズ市川妙典。そしてみたプログラムは『借りぐらしのアリエッティ』である。ジブリ映画は毎回、水準以上の完成度で大きく期待を外されることはないが、逆に言えば、ブランド人気が先行してしまっていて、前評判のワリに意外に肩すかしをくらう場合も間々ある。まーこれは、ジブリアニメの魅力をよく分かってないマスコミが、映画の公開前に、変な方向に期待感を誘導してるのが原因でもあるんだけどね。テレビの特番とかを見た後で映画を見ると「あれっ? こんな内容だったの!?」っていう感じでスカッと空振りしてしまうっていうかさ。果たしてこの映画はどうだろうか......。
![]() ©2010 GNDHDDTW |
オープニングは、ある夏、ひとりの少年が車に乗って叔母の家に預けられるところから始まる。まるでプレイステーション用ゲーム『ぼくのなつやすみ』を思わせるシチュエーションで期待が高まる。古い叔母の家の見せ方も存在感があっていい感じ。ただ、アリエッティたち小人族の見せ方が、ぼく的にはちょっとそっけなさすぎたかな。少年がこの家に着いてそうそうアリエッティをはっきりと目撃してしまうのが、もったいないという感じが。ぼくだったらもう少し気を持たせて期待感を高めていくのに、とか(笑)。
アニメーションとしての表現は、最初から最後までリアリティに徹していて、それはそれでアリだとは思うが、ここぞというところではもっとアニメらしいデフォルメが欲しかった。ストーリーはシンプルで特段大きな事件が起こるわけでもなく、若干、食い足りない感じが残る。大長編のプロローグだけを見せられたような感じなのだ。ラストは続編が作れるような終わり方をしているので、もしも実際に続編が作られるのなら、そちらの方が面白くなりそうな気がした。
ところで「借りぐらし」っていっても借りたものは返さないんだから泥棒じゃん! というあたりまえの突っ込みに対して、シナリオでは何らかの答えを出しておくべきだったのではないだろうか。って、こんな突っ込みは野暮ですか。そうですか。
で、新たに装着したタイヤは、これっ!! トーヨータイヤのミニバン専用タイヤトランパスMP4である。
上の写真が装着後の TRANPATH MP4。サイズはフロントが 215/55R17、リヤが225/50R17と前後異サイズを装着。これは、フレンディV6の純正タイヤが、フロント195/80R15、リヤ215/70R15と前後でサイズが異なっているので、インチアップ後もこれに合わせたのだ。それと、大昔のエントリーで書いたけど、後輪の225/50R15を前輪にはかせると、若干フェンダーからハミタイしてしまうための対処でもある。
これまでフレンディのタイヤは、ブリヂストンのB500i→同じくブリヂストンのGRVと使ってきて、特に不満はなかったので、今回も無難にブリヂストンでも良かったんだけど、今回はネットでも評判が良く前から気になっていたMP4を試してみることにしたのだ。ちなみに、過去のCR-Xとパジェロではヨコハマを愛用。トーヨータイヤ自体が初装着なのだった。
購入と組み替えは、過去にも何度かフレンディのパーツを購入している環七の平野タイヤに依頼した。価格はタイヤ4本+交換工賃+バランス調整+廃タイヤ処理+3Dアライメント調整(平日割引価格)で79,800円也。
事前に電話で注文と作業の予約をしてあったので、午後2時にお店へ行ったらすぐに作業を開始してくれた。作業中、ぼくは近所のサイゼリヤで仕事をしながら待っていると、およそ2時間で作業完了の連絡が入った。タイヤの製造時期は2010年の21週と22週でした。
さて、今回のMP4であるが、まずトレッドパターンは上の画像のように、左右非対称パターンを採用していてタイヤのアウトサイド側が決められているので、タイヤローテーションをする際には、左右のタイヤを入れ替える事はできない(左右を入れ替えると回転方向が変わってしまう)。つまり基本的に前輪と後輪でしかタイヤローテができないことになり、ぼくのフレンディでは前輪と後輪のサイズが違うのでタイヤローテはできないことになる。まぁでもぼくの場合、前からタイヤローテはしないで前輪だけ、後輪だけという風に2輪ずつ交換していたので、またどちらかが先に減ったら2輪だけ交換する予定なので問題なしなのだ。
見た目でいうと、ショルダー部分がこれまで使用していたGRVよりも丸くなっているので、ぱっと見、タイヤが小さくなったように感じる。
で、問題の走りだけど、まず走行音が静かになった!。タイヤのトレッドがアスファルトを叩く「ジャワー」という音が車内に入ってこなくなったのだ。それから、停止から走り出すときの、タイヤの転がり出しが気持ちスムースになったような気がする。ファーストインプレッションはかなりいい感じ。
しかしマイナス面では、舗装の継ぎ目などでの「ゴトン」というショックがGRVの時よりも若干大きくなった気がする。
その後、関東近郊や会津若松への往復などで、一般道、首都高、常磐、東名、東北など、天候も快晴から豪雨まで1000kmくらい走ってみたけど、ドライでもウエットでもしっかりとグリップしていて、腰もしっかりしており、とても安心して走れる感じだった。これでGRVより1本5000円以上安いんだから、ネットでの評判がいいのもうなづけますね。
ただし若干、GRVよりも劣る点を挙げるとすれば、100Km前後で走行中に高速道路でのゆるい路面のうねりを拾ってしまってフワンフワンと車体が突き上げられる感じが、GRVのときより若干強くなったような気がした。まぁ、これも気分的なレベルで実際の運転にはほとんど支障ないものなんだけどね。
ということで、MP4、現時点では、ミニバン愛用者にかなりお薦めです!!
あとテストしてないのは、雨の中でのハードブレーキングと泥道などの走り。それと、どのくらい減りが早いかということですね。
何か気付いた点がありましたら続報を追記いたします。
6/5
午後、電車で新宿へ。京王プラザホテルでマジックショーを観覧する。以前、ぼくが原作を執筆し「少年ガンガン」に連載したマンガ『マジック・マスター』で監修をしていただいた、プロマジシャンの柳田昌宏氏が日本での現役を引退することになり、その引退記念ショーが開催されたのだ。
会場には、かつてお世話になった懐かしいマジシャンやマジックファンの面々が集まった。また、当時、ガンガンの編集担当で2年連続でアメリカ取材旅行へも行ったN川さんとも数年ぶりの再開を果たした。
19:00、ショーが始まった。ショーはディナーショー形式で、食事を食べながら和やかにマジックを観覧するというもの。久々に見る柳田さんのマジックはもとより、かつて『マジック・マスター』で足繁く柳田さんの事務所へ通っていたころにはまだ新人だったマジシャンたちも、すでに堂々としたステージをこなしていて時の流れを感じたりもした。
22:00、ショーが終了し、皆さんは二次会へと流れていったが、ぼくは仕事を残しているので帰宅。
『マジック・マスター』時代の忙しくも楽しかった日々を思い出しながらほんわかとした気持ちで帰路についたのだった。
6/7
10:00、車におもちゃを満載して五反田へ。学研の写真スタジオで大崎くんの本のおもちゃ撮影1日目。数年前に自分の本で同じような撮影をしたから段取りは慣れたものだけど、やっぱりハードです。大崎くんもおもちゃのことはよく分かっているので、いちいち説明の必要がなく、それが助かったかな。
ところでぼくは、学研ではおよそ25年ほど前に一度だけ『高一コース』で数ページのコラムを書いたことがあったけど、学研本社を訪れたのはそれ以来のこと。何でも新社屋ができたばかりだそうで、あのころとはまるで違うババーンと立派なビルになっていたので驚いた。
6/8
10:00、車で五反田へ。学研のスタジオでのおもちゃ撮影2日目。この日も撮影は順調に進み、明るいうちにすべてのおもちゃの撮影が終了した。
6/9
13:00、電車で神保町へ。集英社で編集のI沢くんと打ち合わせ。新しい仕事を依頼されたが、ぼくが通常3か月かけている仕事を1か月で上げてくれとのこと。んー、大丈夫だろうか......。
そのまま電車で高田馬場へ。手塚プロでI藤さんと次回ホームページコラムの企画打ち合わせ。来週は取材もあるので、その段取りなどもあっていろいろと面倒なり。
6/11
愛車フレンディのタイヤがそろそろやばいので、環七の平野タイヤにタイヤを注文してあった。そして今日は予約を入れておいた交換の日。どんなタイヤに交換したかなどの詳細は、後日、別エントリーをたてて報告いたします。
6/11-12
ミリオン出版のムック用の原作を執筆。しかし書き上がる前に手塚治虫のコラムの締め切りが迫ってきちゃったのでこちらは一時中断。
6/14-16
手塚治虫公式サイトのコラム『手塚マンガあの日あの時』第11回の原稿を執筆。資料はそろえてあったからすぐに書けると思ったら、意外にもてこずり3日もかかってしまった。ふー。
6/17
と、そうこうしているうちに、とうとうミリオン出版編集のT根編集長からも催促の電話が来てしまった! 「あー、すいません。もう半分以上書き上がってまして、あとちょっとで書き上がるところですんで、今日中には送ります!」と返事をして、原稿を......書かずにすぐさま家を出る。
13:00、電車で東銀座へ。昭和通り沿いの喫茶室ルノアールで、いそっぷ社社長のS藤さんと待ち合わせ。次回単行本企画の構成打ち合わせ。過去に雑誌に連載した記事を元に本を作る予定なんだけど、単行本の切り口に合わせてかなり書き直す必要がありそう。こちらが忙しくなる前に、ほかの仕事を片付けておかなくちゃ。
帰宅後、ただちにミリオン出版の原作の続きを執筆。23:58、日付が変わる直前に完成した原稿をメールで送る。
翌日、監修者のチェックでもOKが出たとのことで、ようやく脱稿した。ふー。
6/18
10:00、車に自転車を積んで、神奈川県の鎌倉へ。今日は手塚プロのコラムの取材なのだー。午後からは天気が崩れるという予報なので、車を鶴岡八幡宮の裏手の駐車場に預けて、自転車で出発。目的の場所を急いで回りながらデジカメに収める。平日だというのに鎌倉は観光客でかなりの混雑だった。
それにしても鎌倉に来たのは何年ぶりだろー。およそ20年くらいかしらん。由比ヶ浜に自転車を止めてボーッと海を眺めていると、ふと昔のことが思い出されてきた。
かつて小学館で仕事をしていたころ、ぼくはまだバイクに乗っていて、仕事仲間で旅とバイクが大好きな人が鎌倉に住んでいて、その人と鎌倉や逗子をツーリングして遊んだことがあったっけなぁ......なんてふと感傷にひたったりして(笑)。
そして午後、薄日まで差していた空は一転かき曇り、予報通りの雨となってしまった! 自転車は車に戻し、徒歩に切り替えるも、靴の中までぐしょぐしょ。後から来た手塚プロのI藤さんと合流するころには雨はさらに強まり土砂降りとなっていた。それでも何とか無事に取材を終え、鎌倉駅前でI藤さんと別れて帰途についたのは午後4時過ぎだった。
すると、そのころになったら急に雨が小降りになりはじめ、首都高に入ったころにはもう完全に止んでいた。
渋滞が始まっていたので、大黒パーキングエリアでちょっと早い夕食を取り、のんびりと帰宅。久々の鎌倉、楽しかったけど何だかドッと疲れた取材でありました。
6/20
10:00、電車で有楽町へ。この日、ここで開かれる大江戸骨董市で、おもちゃコレクター仲間のNさんとMさんとプチオフ会を開催するのだ。先日、一度もお会いしたことのないMさんにネットでの情報交換でお世話になったので、一度、ぜひお会いしましょうということになり、共通の知り合いであるNさんも誘ってプチオフを開くことになったのだ。
どうせならということで場所は骨董市会場に設定。ちょうどG-Diaryのコラムに使えそうな資料も見つかってホクホクのぼくなのでありました。
6/21
そうこうしているうちに、小学館の学習図書編集部のF田さんからも、やりかけていた学習まんがの原作の督促メールが入る。
こちらもそろそろ催促が来るんじゃないかと思っていたので、すぐに執筆に取りかかり、第2章第3稿を1日でアップした。なんだ、1日ですぐに書き上がるならこんなにギリギリまで引っ張らないで先に上げておけば楽だったのに、と思うのは素人の赤坂さ(笑)。やっぱギリギリにならないと本気の馬力が出ないんだなぁ。
6/23-24
雑誌「別冊漫画ゴラク」の連載マンガ『龍のおんな』第22話最終回の原作を執筆。2年間続いたこのマンガもいよいよ最終回。ラストは作画の和気先生が熱く描いてくれるといいなぁと思いつつ思いっきりテンションを上げて書いたけど、同時にいちまつの寂しさもありますね。
6/25-27
来週の取材のための資料マンガを読む。マンガを読むのが仕事。へっへっへ、うらやましいだろう、ってホントは仕事で読んでるとあんまり楽しくないんだよぉぉぉ(涙)。
6/29
16:00、電車で上野へ。とある料亭で小学館のマンガ家対談企画の取材3回目。記事はまだ1行も書いていないのに、取材だけはアポが取れたところからどんどん先行して予定が入ってしまうので、何だか話の中身が混乱しそうです。
7/1
雑誌「G-Diary」の連載コラム『あの日の僕に帰りたい』第41回の原稿を執筆。資料は早々とそろえてあったんだけど、記事の参考用にと集めた5本ほどのビデオソフトを見る時間がなく、書く直前になってあたふたと見ることになってしまった。
ふっふっふ、しかし僕には倍速での音声再生可能なスペシャルなVHSデッキがあるのだ! ジャーン!! と思ったら、そのカンジンの倍速機能が故障していた。な、なにぃぃぃ!? 仕方なく通常再生で見る。所要時間8時間(!)死んだ......バタッ。
それにしても、一時は5台もあったビデオデッキが次々と故障。現在はVHS2台とベータ1台しかなくなってしまった。これが故障したら困るなぁ。
7/3-5
手塚治虫公式サイトのコラムの取材で、福島県の会津若松を訪問。こちらも詳しくは後日、別エントリーで報告します。
05/19
この日よりさかのぼることおよそ1ヶ月前、小学館の20年来のつきあいになる編集U山さんからお話をいただき、マンガ家さんの対談の記事構成をやらせていただくことになった。そしてこの日はその対談第1回目の取材日なのだ。
午後、電車で上野へ。本日の対談場所は上野公園内にある和風会席料理のお店韻松亭というところ(下の画像)。
上野公園の中にこんなお店があったなんて初めて知りました。小さいお店だけど落ち着いた静かな雰囲気で対談もばっちり盛り上がった。
5/22
一昨日に続いて第2回目の対談取材日。記事は月イチペースで書く予定なんだけど、対談していただく方のスケジュール優先ということで前倒しの取材である。
ということで今日は電車で根津へ。少し早く着いたので路地を散策する。知らなかったけど、このあたりすっかり観光地になってるんですね。それも昔の江戸風情を残しているからか、外国人観光客がものすごく多くてびっくりした。
本日の対談場所はふるかわ庵という、茶室風の料亭です。その対談のテーマから、毎回編集のU山さんが和のテイストの場所で探しておられる模様。
この日もおいしい料理を食べながら対談は大いに盛り上がった。
掲載媒体や対談していただいた先生方のお名前、詳細な記事の内容などは解禁となりましたらこちらにも書きますね。
6/2~6/3
先日取材した対談記事第1回目分のテープ起こしをする。およそ4時間半分である。が! 録音したファイルを聴きながらエディタで打ち込んでいくと、MS-IME の変換のあまりのヒドさにキレそうになってきた。いや、今さら MS-IME のヒドさに気がついたわけじゃないんだけど。
PC-9800互換機時代にパソコンを使い始めてまず使った日本語入力FEP(Front End Processor)は、管理工学研究所の松茸だった。その後、DOS/V の時代になっても依然、松茸を愛用。しかし Windows3.1 に移行して松茸が使えなくなり、以後は仕方なく MS-IME を使い続けてきた。
まぁ、松茸もそんなに賢いFEPだったわけではないので、MS-IME も文章を考えながら少しずつキーを打っている分には、それほど不便にも感じていなかった。しかし! テープ起こしで音声を聞きながら素早くタイピングしていると、その糞っぷりがどんどん際立ってくる。
例えば、良くある同音異義語の入力で「はし」と入力して「橋」に変換確定したとする。次に「はし」と入力して変換すると「橋」になると思ったら「端」になる。で、もう一回変換キーを押すと「橋」になる。つまりこの時点で1回余分なキー入力が必要となる。で、次に「はし」と入力して変換するとどっちになるか......この場合はなんと「橋」になる場合と「端」になる場合の両方があって、どっちになるかは変換してみないと分からないのだ。これではキーをたたくリズムが乱されるばかりだし、変換候補が通り過ぎてまたさらに変換し直さなければならなかったり......。あーもう!!
ということで、テープ起こしを中断してぼくはある重大な決断をした。そうなのだ、ここはもう変換効率がいいという噂の Atok を導入するしかない!!
ということで仕事を中断し、ジャストシステムのサイトからAtok2010試用版をダウンロードしてインストールし、今のキー配列に近くなるようにざっとカスタマイズをして使ってみた。するとこれがイイ!! 入力した内容から変換候補の優先順位をダイナミックに変えてくれるのと、すでに確定した文章も含めて、文章の前後関係から変換候補を出してくれるので、日常会話程度のボキャブラリーだったら、いくつもの変換候補から目指す漢字を選び出すという手間が、体感で MS-IME の5分の1くらいに減った!!
ということで、1時間ほど使ったところで、すぐに Atok2010 正規ダウンロード版を購入して再度インストール。その後、細かい部分までMS-IME時代のキー設定に限りなく近づくようにカスタマイズして現在も使用中である。
MS-IMEからの乗り換えによるマイナス面は、うちのパソコンのCPUパワーが低いからだとは思うが、キーを高速に入力すると、MS-IME よりも若干もたつく感じがすること。しかしそれを上回る変換精度で、入力はかなり快適になった。こんなことならもっと早くに乗り換えておくんだったなー。
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おまけ
先日千葉県の某所に出かけた際に立ち寄ったファミレスサイゼリヤ。そこのコーヒーベンダーに貼ってあった手描きの貼り紙を紹介しますね。これ、なんとコーヒーとミルクのミキシングの裏技なのだっ! んー、「裏技」と聞くと、かつて少年雑誌にファミコンの記事を書いていたころの習性が残っていて、ついついピクーンと反応してしまうんですよね~。ということで無断転載(笑)。ただし他のサイゼでこの技が使えるかどうかは保証の限りではございません。あしからず。

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5/2
午後、天気がいいので自宅前で車のメンテナンスをしていると、電動アシスト自転車に乗って、高校時代からの友人であるリキが「よお~」と現れた。リキは新しいデジタル一眼レフを買ったので、自転車で走り回りながら撮影テストをしていたのだとか。
ぼくもちょうど車いじりがひと段落したところだったので、「ファミレスでお茶でもする?」と言ったら、「それなら俺の秘密基地に来ない?」と誘われた。
リキは亀有在住だけど八潮に大きな倉庫を借りていて、そこに愛車やラジコンや遊び道具などを持ち込んで秘密基地にしているのだという。「ぜひぜひ見せて!」と言って、さっそくフレンディにリキの電動サイクルを積み込んで八潮へと向かった。
三郷や八潮周辺のこのあたりは、よく深夜にあてもなくドライブをするときにたまに走ることがあるんだけど、昼間に走るのは何年ぶりだろうか。ゴールデンウィークだから道が混んでるかと思ったら、意外にも都内近郊はガラガラだった。
ほどなくして住宅街の一角にあるリキの秘密基地に到着。そこにはリキの仕事仲間のSさんもいて、Sさんのカスタムバリバリの愛車やリキの秘密基地内部などをいろいろと見せていただいた。
あー、ぼくもこんな秘密基地欲しいなー、と言ったらリキが「車を整備する時とか、必要があったら使っていいよ」と言ってくれたんだけど、今ではここにこもって車いじりをするような時間もないしねー。
5/3
8:30、車で家を出る。近所に住む友人YちゃんとKちゃんのふたりをピックアップして幕張へ。今日は幕張メッセでフリーマーケットが開催されているのだ。
このメッセのフリマは毎年恒例だそうで、YちゃんとKちゃんは去年、別の友人と行って面白かったのでぜひ行こう、と誘われたのだ。
京葉道路は、電光掲示板の表示で40分の渋滞だったので、あきらめて国道14号を走ることにした。が、こちらも全体的に混んでいて時速20~30kmでのノロノロ運転が続き、およそ1時間で現地に到着した。
広い会場人はで埋めつくされていて、はぐれそうだったので、集合時間を決めて各自自由行動とする。ぼくはひさびさのフリマなのでテンションが上がり、人ごみをかきわけて各ブースを入念に見ていく。
結果、残念ながら期待していた昭和レトロな駄玩具はほとんどなかったが、新しめのおもちゃを少々と、夏物のシャツを数点格安でゲットした。
その後、Yちゃんが四街道にあるお店へ行きたいというので四街道へ。最後はサイゼリヤで遅い昼食を食べて帰宅した。
5/4
午後12:00、車で家を出て友人をピックアップし、所用で新横浜へ向かう。四つ木から首都高に乗って湾岸から羽田方向へ向かうつもりでいたら、途中で渋滞45分の表示が。しかたがないので乗ったばかりの高速をすぐに下りて下道で渋滞箇所をパスし、日本橋から再び首都高に乗る。ここからは比較的順調に流れており、東神奈川まで。およそ1時間で新横浜に到着した。
友人の用事が終わるまで、ぼくは駐車場に車を止めてその中で仕事をする。2日に新しく追加した装備もなかなか快適だ。
18:30、用事が終わり、帰路につく。が、帰りはなんと首都高渋滞90分の表示が。そこで高速はあきらめて国道1号から帰ることにしたが、こちらも予想通りノロノロ運転で、結局、柴又まで2時間もかかってしまった。
しかし最近、あまり車に乗っていなかったので、連日ドライブできてとっても楽しかったです。
ただ、この連休中にフレンディに相次いでトラブルが発生してしまった。まず、3日にETCが不調になってしまった。ETC車載機にカードを入れるとちゃんとグリーンのランプが点灯して認証は完了するのに、ゲートを通過するときに2回に1回の割りでエラーが発生してバーが開かないのだ。
通過するまでゲートが開くか開かないか分からないのでは危なくて使い続けるわけにはいかない。結局、帰宅後にネットでETC車載機を注文し、4日は有人ゲートを利用した。新たに買ったETC車載機のレポートはまた後日。
そして4日、今度は助手席の電動ドアロックが故障してしまった。ドアロックを操作するとドアの中から「ギギギギーッ」というギヤが滑る音が聞こえてきてドアロックがかからない。これは帰ったら修理だな。
先日、パーツレビューで装着レポートをした MOMO CORSE(モモ コルセ)のペダルカバーだけど、その後、少し走りこんでみたところ、どうもアクセルもブレーキもフィーリングがイマイチである。
どうイマイチなのかというと、ペダルを踏んだときの動きが全体的に何となく鈍いのだ。ブレーキを踏んだときのペダルの沈み込む早さも、ブレーキから足を離したときのペダルの戻る早さも、いずれも今までよりかなりもっさりしてしまった感じ。
この原因は、ペダルカバーの質量が大きすぎるために慣性モーメントが大きくなり、ペダルを踏んだときや離したときの反応がワンテンポ遅れてしまうからだろう。
んー、これは問題だなーと思っていたら、運良く同じブレーキペダルカバーのSサイズ(未使用品)がゲットできたのでさっそく交換し、アクセルペダルカバーにも若干の改良を加えた。
まずは、いったんクルマから取り外した、マイナーチェンジ前のLサイズのペダルカバーの重さを計ってみた。結果は、取り付け金具なども含めた総重量(以下同条件で計測)が 264g 。ぼくがスーパーでよく買うお肉1パック分くらいの重さがある。
次に、今回入手したSサイズのブレーキペダルカバーを計測すると 214g。その差はジャスト 50gだ。
ちなみに MOMO のペダルカバーに交換するまで使っていた、RAZOのペダルカバーはというと、わずか 121g。MOMO のLサイズのペダルカバーとくらべると何と重さは半分以下。143g も軽い。これではペダルレスポンスに影響するのも当然だろう。つまりペダルレスポンスだけを考えたら RAZO がベストという結論になるんだけど、せっかくデザインが気に入って交換したんだし、アクセルペダルとの見た目の統一感からいってもその選択はあり得ない(笑)。
では、なぜこれだけの重さの違いがあるかというと、RAZO がただの1枚のアルミプレートなのにくらべ、MOMO の方は表面に薄いアルミプレートが貼られているが、実はその本体は厚みが2mmほどもある鉄板でできているのだ。さらにその間にはゴム板も挟まれている。確かにこの鉄板のおかげで剛性感は感じられるが、ちょっと重すぎ。
ということで、ブレーキペダルカバーはLサイズからSサイズに交換して50gの軽量化を果たした。
次はアクセルペダルカバーである。こちらもブレーキペダルカバーと同様の構造をしているため、やはりレスポンス低下が気になる。
取り外して重さを量ると、スペーサーとして挟み込んでいたゴム板と合わせて172g。しかしこちらは現在のペダルカバーでジャストサイズだから、これ以上小さいカバーに交換することはできない。
そこでスペーサーのゴム板をギリギリまで小さくカットし、5分の1くらいのサイズにして軽量化することにした。
これが取り除いたゴム板。7gの軽量化ができた。
そして上の画像が、今回Sサイズペダルカバーに交換したマイナーチェンジ後の写真。見た目もスッキリした。またアクセルペダルの取り付け位置を1.5cmほど高くしたのも分かると思う。これによって、振り子の原理でわずかながら慣性モーメントが小さくなってレスポンスの向上に寄与するはず。
こちらはマイナーチェンジ前の状態。上の写真と比較するとアクセルペダルカバーの位置がかなり低かったことが分かる。このときは単純に見た目優先で、左のブレーキペダルと高さを合わせただけだったのだ。
交換後、ゴールデンウィークなどに300kmほど走ってみたが、結果は上々。レスポンスの悪さもほとんど気にならなくなった。また、途中雨の日もあったが、靴が滑ることもなく安全性も確かめられた。
いやー、それにしても、ほんの数グラムの違いだけど、それがこうもアクセルとブレーキのフィーリングに影響するとは、人間のセンサーって敏感なんだな、とあらためて思った。
次はフットレストカバーも付けたくなってくるけど、機能的には今のノーマルのフットレストで何の問題もないので、しばらくはこのままかな!
]]>17:00、電車で大久保へ移動。駅前の喫茶室ルノアールで、手塚治虫公式サイトのコラム『手塚マンガあの日あの時』のため、マンガ家の某氏を取材する。
4/8-13
小学館の学習まんが第1章を執筆。
4/12
11:30、なんだか真冬のように寒いけど電車で銀座へ。ソニービル1Fの喫茶店で手塚プロI藤さんと待ち合わせ。マンガ家の某氏とお会いして手塚治虫公式サイトのコラム『虫さんぽ』の取材をする。本当はこの日、同時に街歩きの取材も行なってしまう予定だったんだけど、あまりに冷たい雨が降っているのでそちらの取材は中止。早々に帰宅した。
4/15-16
手塚治虫公式サイトのコラム『手塚マンガあの日あの時』第10回の原稿を執筆。
4/20-22
「別冊漫画ゴラク」の『龍のおんな』第20話の原作を執筆。
4/23
11:30、電車で恵比寿へ。東京都写真美術館で友人N、Tと待ち合わせ、展覧会『森村泰昌 なにものかへのレクイエム-戦場の頂上の芸術』を見る。
実は先月、今回と同じメンバーで神保町で会食をした際に、この森村泰昌のことが話題に出て、「ちょうどいま恵比寿で展覧会をやっているので見に行こう」という話になったのだった。
森村泰昌というのは現代芸術家で、歴史上の人物や歴史的な決定的瞬間の写真などを、自分自身が演じることで表現するという人なのだ。つまりチェ・ゲバラとか、チャップリンの独裁者とか、浅沼稲次郎氏を右翼少年が刺殺した瞬間の写真とか、そんな人や映像を自分自身がメイクして自演し、背景とかにも凝ってこだわった写真や映像にして芸術してる人なのだった。
実はぼくはこの人のことを知らなくて(笑)今回初めて見たんだけど、誰でも思いつく俗っぽい発想もこれだけ徹底して突き詰めてやるとかなり面白いと思った。ただこれが芸術かどうかは賛否両論あるらしく、ぼくにもちょっと判断がつきかねたのだが......。
14:30、友人たちと別れてひとりで新宿へ。実は久々にデジカメを新調しようと思うのだ。最近、手塚治虫公式サイトのコラムやG-Diaryのコラムなど、自分で写真を撮る仕事が増えているのに、メインで使用しているデジカメは、何と10年前に買った、オリンパスの CAMEDIA C-2100UZ という210万画素しかない化石のような機種だったのだ。
それで、これまでにも何度か買い換えようと思って機種選びをしたこともあったんだけど、結局、まだ使えるからと買わずに今日まで来てしまったのだ。
しかし今回、とうとう辛抱できなくなって、本気で機種選定をしているところに富士フィルムから気になる新製品が発売されたので、がぜん買い気になったのだった。
その新製品とはFINEPIX HS10 という機種。コンパクトデジカメ(コンデジ)の上位機種だ。それと対抗の候補としてはニコンの新製品Nikon P100もチェックするつもりである。
で、まずは新宿東口の大ガード横にオープンしたばかりのヤマダ電機へ行ってみた。しかしここ、入り口を入ってデジカメ売り場のある2Fへエスカレーターを上がったら、その目の前が携帯電話売り場で、売り子の女の子たちが10人くらい並んで「いらっしゃーませー!!」と、あらん限りの声で絶叫しているので、耳がガンガンしてゆっくりカメラを選ぶどころじゃない。もーゲンナリしてしまい値段だけ確認して早々に退散する。
その後、西口へ回ってビックとヨドバシを見たが値段はどこも同じだったので、結局、一番落ち着いて品物が見られたヨドバシで、あれこれと手に取ってみた結果、当初の予定通り FINEPIX HS10 を49,800円+ポイント10%で購入したのだった。
ということで、上の画像が今回購入したHS10だ。さっそくいろいろ撮ってみた感じでは、やっぱりコンデジだな~と思う点もいくつかあったが、総合的には仕事にもプライベートにもかなり使える感じでした。詳しいレポートはまた後日、記載いたします。
それにしても、今まで使っていたオリンパスの CAMEDIA C-2100UZ は、10年前当時、定価が160,000円くらいで、購入価格がおよそ100,000円だった。それがいまやその半分の価格でコンデジのハイエンド機が買えてしまうんだから驚きです。
C-2100UZを購入したときの記事は↓こちら
OLYMPUS CAMEDIA C-2100 UZを購入(2000/09/28)
※新しいウィンドウが1枚開きます。
4/25
15:30、電車で上野へ。夕方から打ち合わせがあるんだけど、少し早めに出かけ、アメ横や上野公園を歩いてデジカメの試し撮りをする。
17:00、京成上野駅前へ戻って某社編集のIくんと待ち合わせ。昭和通りを渡ってコリアタウンの焼肉店へ行き、焼肉をつつきながら企画打ち合わせ。
Iくんの案内で行ったのはトトリというお店。テーブルも広くてお肉もなかなか美味でありました。
Iくんとは学生時代からの古い友人でもあるので、ぼくが「今は景気が悪いから収入が減った」とグチると「黒沢はセルフプロデュースが足りないんだよ!」などと、暖かい(?)励ましの(?)お言葉をたくさんいただきました(笑)。
行ったのは千葉県四街道市にある佐藤いちご園。初めて行ったのはもう10年以上前になり、それ以来、ほぼ毎年1回は行っているお気に入りのイチゴ園である。
我が家からは、市川インターから京葉道路に乗り、東関道へ分岐してすぐの千葉北インターで下りればそこから約5分ほどで到着する。
イチゴ狩りは30分食べ放題で大人ひとり1,000円(時期によって値段は変わります)。
午前11:30ごろ現地に到着したんだけど、もうイチゴ狩りシーズンのピークを過ぎているからお客さんは少なめで、10分ほどしたら、先にいたファミリーも帰ってしまい、ハウスの中はぼくらだけで貸し切り状態になった! だから落ち着いて大粒のものを選びながらゆっくり食べることができました。
それと先日のニュースでは、今年は一度上がった気温が大きく下降したため、ミツバチの生育が遅れてイチゴの生産にも影響があったと報じていたが、ここのイチゴは例年通り大粒に育ちとっても美味だった。ミツバチくんたちも元気に飛びまわっていましたよ。
イチゴをほおばる姿を自分撮り。ハウスの中は暑いのでTシャツ1枚でOK。イチゴの汁が付いてしまうので汚れてもいい服装で行くのがベストだ。
ということで、30分めいっぱい食べまくり手元のケースにはイチゴのヘタが山盛り。市販のイチゴパック2パック分は食べたかな~、と満足しながら、友人の高校生の娘さんのヘタの量を見たら、何とぼくの1.5倍はあった。さすが育ち盛り!
ちなみにこのイチゴ園のイチゴの品種は......しまった、取材し忘れた(笑)。ライター失格です(爆)。
帰りはぐるっと大回りをして三郷でショッピングをしたあと、ガストで食事をして解散。久々の楽しい休日でありました。
![]() ©2010 INCRIMENT P CORP. |
参考リンク:
佐藤いちご園(公式サイトはないので、千葉県の観光ガイドのページにリンクしています)。
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中古で購入したMOMO CORSE(モモ コルセ)のペダルカバーを取り付けた。
これまでペダルカバーは、ブレーキペダルのみにカーメイトのRAZO(レッツォ)というアルミ製のペダルカバーを付けていた。ブレーキのみにカバーを付けていた理由は、シートを社外品に交換したら、シート位置が2cmほど右にオフセットされてブレーキペダルが右足から遠くなってしまったからだ。
というわけで、その状態でもう3年以上乗っていたわけだけど、今年の冬、雪の日に雪の中を歩いた靴でアクセルを踏もうとしたらペダルがツルンッ! と滑ってしまった。
ノーマルのアクセルペダルは、鉄製のペダルに浅い縦溝の刻まれたゴムが貼り付けられているだけなので、靴底の種類によっては気温が低く濡れていると滑りやすいのだ。前からそれは分かっていたが、今回のツルンッ! には焦った。
そこでこの際、アクセルとブレーキ両方にペダルカバーを取り付けることを決め、ずっとデザインと機能性が良さそうなものを探していたのだ。
そんな探索の中で見つけたのが、このMOMO CORSEのペダルカバーだった。MOMOというのはイタリアの自動車部品メーカーで、フェラーリにも純正採用されているスポーツステアリングなどが有名だ。ぼくも以前、CR-Xやパジェロのころは、MOMOのキャバリーノという3スポークステアリングを愛用していた。
ということで今回のこのペダルカバーも、機能優先の直線的デザインがGOODで、赤と黄のロゴもさりげなくスポーティでいい感じ。ところが、すでに廃番商品なのかカー用品店に行ってもどこにも置いていない。そして先日、ようやく中古で入手することができたのだった。
上の写真で、下の方に裏返しで置かれているのがこれまで使用していたRAZOのブレーキ用ペダルカバー。今回入手したMOMO CORSEのカバーの方がひと回り大きかったけど、ブレーキの方は問題なく取り付けができた。問題だったのはアクセルペダルの方だ。
問題というのは、フレンディのアクセルペダルは、上のイラストのように、上から下に向かって右から左へ大きく傾いた形状をしている。そのため、そのまま付属の取り付け金具で固定するとペダルカバーも右に傾いてしまうのだ。まぁそれでペダルカバーがどこかに干渉するということはないから機能的には問題ないんだけど、見た目がかっこ悪い。
カバーが傾く原因は、Ω型をした金具のネジ受け台座部分の面積が大きいため、そこがペダル左下のヘリと干渉してしまうことだった。それを解決する単純な方法は、干渉する部分をサンダーか何かで削ってしまうことだ。だけどサンダーは持ってないし、後でカバーを外したくなるかも知れないから、その方法は却下。
考えた末、ホームセンターで長さ70mmの穴空きプレートを買ってみた。そしてこれをペダルと取り付け金具の間にかませたら、左下のネジ位置を3mmほど右に寄せることができた。よ~く見るとまだ若干右に傾いているが、このくらいなら許容範囲である。ということで、プレートを買出しに行った時間も含めておよそ1時間ほどで取り付けが完了した。
まだ長距離は運転していないが、靴がドライの状態で近所を走ってみた限りでは、ペダルフィーリングは上々だった。アクセルとブレーキの間の足の移動にもまったく問題ない。あとは肝心の雨や雪の日にどうなるか。もしも問題があるようだったら追記いたします。
追記:2010/04/17 マイナーチェンジしました→[こちら]
]]>
うちのフレンディは移動仕事場として日々便利に活躍してくれている。出先でちょっとした空き時間に仕事をしたりと車内で過ごすことも間々あるわけだが、春から秋にかけて困るのは虫の侵入である。特にハチや蚊が侵入してきたら、もういっぺんに仕事どころではなくなってしまう。
ということで開口部にぜひ網戸が欲しい。かつては純正オプションでも網戸が用意されていたのだが、現在は当然ながら廃番だ。社外品もあるにはあるが高い。
ということで、去年の春、ネットオークションや100円ショップ、ホームセンターなどで材料を買い集めて網戸を自作することにした。
......のだが、ミシンがないから手縫いでシコシコやっていたらものすごく時間がかかってしまい、結局、途中まで進んだところで夏が終わってしまったのだった。ハァ......。
今年こそ完成させるぞ! と意気込んで仕事の合い間を縫って作業を再開。先日、ついに完成を見たのだ。
網戸本体は、ネットオークションで購入した伸縮性のあるメッシュ生地のはぎれを利用。縁取り部分には合成ゴム製の網戸用モールを縫い込んでゴムひもで固定した。材料代はメッシュのはぎれが500円くらい。モールとゴムひもは100均で購入。各2本ずつ使用で合計420円。
そしてテールゲートへの固定はどうしようと考えていたら、ちょうどいいものを発見した。断面がC字型をしたプラスチック製の棒で、名前はパッカー! 本来は農家でビニールハウスのビニールを枠のパイプに固定するものらしい。上の画像にあるのがそのパッカーである。
これで網戸をテールゲートのゴムパッキンに挟み込むだけ。太さによって何種類かあったが、19mmというサイズがピッタリだった。価格は10本で500円くらい。ホームセンターの農機具売り場などにある。色はメッシュの色と合わせて黒を選んだけど、紛失や取り外し忘れを防ぐために、逆に目立つ色の方が良かったかも知れない。
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さて、取り付け後の写真をデジカメで撮影して、後からパソコンで見てショック! 1枚目の画像の右下の方、何とネットに隙間があるじゃありませんか! ネットにたるみができるとみっともないと思ってネットの大きさをピッタリサイズにしたのが仇になってしまった。パッカーの数を増やすか、ネットの張り方を工夫するか対策を講じないと、隙間があったのでは網戸の用を成さない。う~む。
後は窓の部分とスライドドア部分の対策である。メッシュ生地はまだ余ってるし、その他の材料もほとんど揃っている。後は作業をするだけなんだけど......果たして今年は夏に間に合うだろうかっっ!?
]]>3/1
雑誌「G-Diary」の連載コラム『あの日の僕に帰りたい』の原稿を執筆。
3/4-10
昨年と一昨年に書き下ろしで刊行されたミリオン出版の『死刑囚の慟哭』と『死刑囚の絶叫』が、4月に合本されて再刊されることになった。そこに新たに1話、新作を追加で書き下ろすことになり、その原作を執筆する。
3/8
13:30、柴又駅で手塚プロ・プロデューサーのI藤さんと待ち合わせ。次回、手塚治虫公式サイトの連載コラム「虫さんぽ」第9回の取材で、今回は柴又を歩くのだ。手塚治虫と柴又の関係は!? という取材の内容は4月1日公開予定のコラムをお読みいただくとして、昨日までの雨も止み、天気も良く、なかなかの取材日和だった。
3/11-18
「別冊漫画ゴラク」の『龍のおんな』第19話の原作を執筆。
3/14-17
手塚治虫公式サイトの連載コラム『虫さんぽ』第9回の原稿を執筆。
3/16
17:00、珍しくネクタイをして家を出る。今日は新宿の京王プラザホテルでパーティがあるのだ。パーティのテーマは「大林宣彦監督の旭日小綬章受章記念」!
昨年秋の叙勲で監督が上記の章を受章されたのをお祝いして行なわれたもので、ぼくもお呼びいただいたのである。
大林監督とはもう10年以上ごぶさたしているので(映画館の舞台挨拶等で、遠くからお見かけはしているが)楽しみ!
18:00、会場に着いて受け付けをすると、「舞台で挨拶をお願いできますか?」と言われてしまった。ええ~~~っ!? ざっと見渡しただけでも、テレビや映画で見知っている芸能人や女優や監督や作家がザクザク居並ぶところで、ぼくがですか? と思ったが、大林監督の集まりなんだから断るわけにはいかないでしょう。
会場に入ると、映画評論家の野村正昭さんの姿を発見! 知らない人ばっかりだったらどうしよう、と思っていたのでホッとする。野村さんとは20年近く前、フィルムアート社から『ワンス・アポン・ア・タイム・イン尾道』という大林監督の尾道映画の単行本を共著で出したことがあるが、お会いするのはもう10数年ぶりである。
さらにしばらくすると、映画監督の小中和哉くんや手塚眞くんなども来てにぎやかになり、ひとり孤独に立ち尽くすという心配は杞憂となったのでした。
さて、モンダイの舞台挨拶であるが、これは大林監督のお考えで、できるだけ多くの人に挨拶をしてもらいたいということで、なんと100人くらいの人がステージに上がって挨拶をしたのだった。手塚くんや小中くんは「映画監督」として挨拶をし、ぼくは「ジャーナリストや評論家の皆さん」というカテゴリで、他の人5~6人の方と一緒にステージに上がった。そこで大林監督と恭子夫人と握手をし、1分ほどの祝辞を述べさせていただいたのだが、内容は緊張して覚えておりません。「大林監督の映画『HOUSE・ハウス』との出会いが、今の僕の原点です」みたいなことを言ったように思う。ホントは野村さんもここで一緒に挨拶をするはずだったんだけど、先に帰られてしまったようでした。
ちなみに手塚眞くんは、大林監督の映画『ねらわれた学園』にキテレツな高校生の役で出演していたから、舞台挨拶では久々にそのときの役柄の演技を再現していて場内の笑いを誘っていたのだった。
それにしても著名人が大挙して集まったとても華やかで豪華なパーティで、およそ400人の人が出席されていたという。大林監督、本当におめでとうございました!!
3/18-20
小学館から4月15日に創刊される新雑誌「GAKUMAN plus(ガクマンプラス)」で創刊号から2号連続で伝記マンガの原作を書かせていただいている。その第2号用の原作を執筆。
3/22-25
ミリオン出版の雑誌「ザ・タブー」の原稿を執筆。
このオーバーヘッドコンソール、2007年ごろにカタログから消えてしまい、ずっと欲しくて予算に合う中古品を探していて、2009年6月、やっと入手した。しかし取り説がなかったため、ドリルで穴を開ける位置や使用するビスの長さなど、いまいち自信がなく、ずっとそのままになっていたのだ。
しかし今回、ある掲示板で実際に取り付けた方にお話をうかがって取り付け後の画像を見せていただくことができ、詳細が確認できたので晴れて取り付けとなったのだった。ありがとうございます>Kさん!!
さっそく取り付け......と、その前に、上の画像のように、コンソールの断面に貼られているモールが傷んでいたため、これを何とかしないといけない。
発売元のロータスのサイトを見たらモール単品での販売があったので注文した。
このコンソールに使われているモールと同色のモールはすでに廃盤だったが、USモール・ビーバーゴールドというモールがほぼ近い色だったのでこれを注文。左がオリジナル。右が今回注文したモール。ビーバーゴールドの方が若干色が薄いが、付けてしまえばほとんど気にならない程度の差だ。
モールは溝にはめ込むだけで特に接着剤などは必要ない。アールになっている部分は、上の画像のようにモール裏側の背骨(?)部分に切り込みを入れる。樹脂製のモールが寒さで硬くなっていたのでドライヤーで暖めたら簡単に加工できた。ハンマーで溝に打ち込んで両端をカッターでカットして交換終了。
いよいよ本体の取り付けだ。オーバーヘッドコンソールの車体への取り付けは前方2箇所と左右2箇所の4ヶ所をネジ止めする。前方2箇所はバイザーを止めているフックと共締めだ。ただし純正のネジでは長さが足りないので長いネジに交換する必要がある。
そこでさっそくホームセンターへタッピングビスを買いに行ったのだが、なぜか純正のネジとピッチが合うものがない。左が純正のネジで、右が買ってきたステンレスタッピングビス5X25mmトラスタイプ。5mmのタッピングビスは全部このピッチなんだよね~。
んー、失敗してネジ山をつぶしてしまったらどうしよう、と思うと一瞬使うのをためらったが「ええい、ままよ!」とネジ込んだら何の問題もなく固定できた。
左右の端はドリルで穴を開けてタッピングビスで固定する。ここもKさんから情報を得ていたので、迷わずドリルでゴリゴリと穴を開けて5X16mmのタッピングビスで固定。
助手席側の取り付けは、後期型フレンディの場合ちょっとした工夫が必要になる。というのは、後期型では新たにここにアシストグリップが追加されているからだ。このオーバーヘッドコンソールが発売された当時の前期型フレンディにはこのアシストグリップがなかったのだ。
そこでアシストハンドルを天地逆にして、上の画像のようにネジのカバー部分を開けたままにしたら、うまくコンソールと干渉せずに両方取り付けることができた。
アシストハンドルがちょっと握りにくくなってしまったが、まあ当面はこれでいいでしょう。
ということで無事に取り付け完了。上の画像がいまいち鮮明じゃないので、いずれもっとうまく撮れたら差し替えます。
まだ物を入れて使っていないので詳細なインプレッションはできないが、現時点での印象を述べると、まず、頭上の圧迫感は予想していたほどでなく、乗り降りの際にも気をつけていれば頭をぶつけることもない。
ただバイザーが中途半端に下にさがって来ているのが若干気になる。現在バイザーにはカード入れが付いているので、ここに差さっているカード類はコンソールの中に入れるようにしてバイザー小物入れは取り外す予定だ。
コンソール内の容量は予想していたこととはいえ、かなり少ない。それと奥の方がのぞきにくいので、小さい物を無造作に投げ込んだりすると、奥の方に入り込んでしまい、取り出しにくそうである。
この中には、ティッシュ、ハンカチ、タオル、シャンプー・リンス、歯ブラシ、耳栓、アイマスクなどのお風呂セットやお泊りセットを収納する予定なので、後日、100均でポーチとかタッパーなどの容器を買ってきて整理する予定です。
実はこのリヤガーニッシュへの浸水は、フレンディ購入直後から始まっていたのだ。
2006年1月、中古で納車されたボンゴフレンディ。そのときすでにリヤガーニッシュのレンズの内側にわずかながら水滴が付着していた。
この修理は価格内に含まれないというので、まあ、遠目に見る分には大して目立たないし、いいか、とそのまま購入したら、それからしばらくして水滴は次第にひどくなり、しかも左・右・中央の3箇所全てのレンズ内に水滴が侵入してしまった。
街中で注意して見ていると、他のフレンディもこのガーニッシュのレンズへの浸水が見られる車がけっこう多いことが分かった。
リヤガーニッシュがこのデザインになったのは、1999年のマイナーチェンジ以降で、どうやら後期型フレンディの弱点であるようだ。
ディーラーで価格を聞くとガーニッシュ丸ごと交換で10万以上するらしい。そこでネットオークションで中古のガーニッシュを見つけて落札。パネル部分の色がぼくの車の色と違っていたが、ちょうど他にもボディに気になる傷があったので、板金塗装を頼むついでにガーニッシュもボディと同色に塗装してもらい無事交換した。これが2007年秋ごろのことだ。
ところが! それからおよそ1年後、またしてもその交換後のレンズが浸水してしまった!!
これが2008年10月のころの浸水状況。水滴が侵入したのは右側のレンズだけだけど、ああああ、なんでこうなるの!? もはや中古パーツも信用ならん! ということで、今度はネットオークションでコーキング剤を購入して、自分で補修をすることにした。
上の画像がオークションで購入したコーキング剤、送料込み1,980円。シリコン系の素材だが容器にラベルが付いていないのでメーカーも商品名も成分も謎。市販のシリコンコーキング剤と違って乾燥後も硬化しないというのがウリだったので、これを選んだ。色は黒、グレー、クリヤーがあり、購入したのはクリヤー。絞り出すためのコーキングガンはホームセンターで購入。280円くらい。
そして保管してあった最初のレンズの外周にコーキング剤をたっぷりと塗り込んだ。
この作業をしていて分かったのは、レンズと裏側の反射板との接合面が平面ではなくて角の部分で階段状の段差になっていることだ。こんな構造をしていたら角の部分の接着剤の劣化による痩せや剥離ですぐに隙間ができてしまうよなぁ。
昔の車はこうしたレンズ類は全てネジ止めされていて、レンズと反射板との間にはゴムパッキンが挟み込まれていた。だから接合面が平面でなく段差になっているなど考えられない構造だったのだが......。今は接着剤で固定だから、デザインや作りやすさを優先して安易に設計すると、こんな水密性の低い構造にしてしまうのだろう。
おまけにレンズの左右の端にくる上下の角の部分が鋭角になっていて、しかもその角で厚みが薄くなるデザインがされているため、この角が欠けやすいのだ。実際オークションに出品されている中古レンズにも、この角が割れているものがかなりある。
こういう設計段階で回避できる問題は、設計の人の間でノウハウとしてしっかり受け継がれていかないと、また次の車でも同じ問題が起こると思うんだけど、大丈夫ですかね!? →マツダさん。
ということで話は先日に戻る。2008年10月にコーキングした右のレンズは、今日までまったく浸水せずいい感じだったのだが、今度は左側のレンズが浸水してしまったのである。あのとき、念のため左側もコーキングしておくんだったなぁ、と後悔しても後の祭りだ。
だけどまぁ、もう慣れたもんですわ。前回と同様に、保管してあった前のレンズ(捨てなくて良かった)にコーキングをほどこし、浸水したレンズと交換した。そして再びクリアーなリアガーニッシュが甦りました!!
不安材料としては、中央の反射板部分がまだコーキングしていない中古パーツのままなんだけど......ここだけは浸水しないでくれ! とひたすら願うぼくなのであった。
狭い住宅街の路地の奥、小高い山がそのままお寺になっている。平日でもあり、ひっそりとして境内にはぼくら以外、誰もいなかった。
山門脇に建てられている説明看板。
本堂脇を左へ入った奥の小高い場所に立っているお竜さんのお墓。建立当時は山門を入ってすぐの右脇に建てられていたというが、平成10年にお寺が改修された際に現在の場所に移されたのだとか。墓碑銘は「贈正四位
墓前には龍馬ビールや、西郷と龍馬らしきフィギュアなども置かれていた。ぼくらも持参したコミックスとお花とお線香を供えてお祈りする。
事前に打ち合わせをしていたわけではないのに、ぼくは行きがけにお花を買ってきており、T橋さんは線香を買ってきていた。不思議!
以下、資料本からの要約。お竜が亡くなったのは明治39年(1906年)1月15日。だけどその晩年は不遇だったそうで、死後8年間はお墓もなかった。それが、高知の坂本龍馬の同輩・香川敬三などの寄付により、大正3年(1914年)8月16日にようやくこの墓碑が立った。建立者の名前としては、お竜の実妹・光枝の名が刻まれている。
![]() ©2010 INCRIMENT P CORP.
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1/20
手塚治虫公式サイトの連載コラム『虫さんぽ』第8回の取材。今回の目的地は練馬区富士見台の虫プロダクション界隈を散歩する。
朝8時半に現地に到着しなければいけないため、今回も前の晩から車で行ってコインパーキングで車中泊。
朝の取材を無事に終えて、午後からは案内をしてくださる元虫プロの作家さんや、手塚プロ担当編集I藤さんらと合流。無事に取材を終えた。
取材の中味については、このエントリーの一番下に掲載した外部リンク、手塚治虫公式サイト内の「虫さんぽ」でお読みください。
1/22-23
『龍のおんな』原作執筆を再開。
そして23日、まだ終わらないのだが、今日はどうしても夕方までに仕事をまとめなくちゃならないのだ。
と言ってたら何とか間に合って、すぐに外出のしたくをする。今日は柴又商店街の中の小さなレストランで、小学校時代の仲間とプチ同窓会があるのだ。およそ2年前の2007年11月に大きな同窓会がおよそ38年ぶりに開かれて、そのときは先生も招いて盛大にやったんだけど、今回は一部の人でこじんまりとやる、まぁ早い話が幼なじみの飲み会です(笑)。
集まったのは30人くらい。2年前の同窓会でホントに超久しぶりに再会した人も今回いっぱい出席していて、もう昔話はその時にしちゃったし、何を話そう......などと思っていたら、まあ、幼なじみというのは、何だかんだでくだらない話をしていれば間が持つもんですな(笑)。結局、二次会にも参加して帰宅したのは2時過ぎだった。
驚いたのは、この年になってつい1年前に結婚した人がひとり、近々結婚する人がひとり、もうじき結婚しそうな人がひとりいたこと。この歳になってみんな何が起こったんだ!?
1/24-25
小学館の学習図鑑の改訂原稿第2稿を執筆。メールで編集部へ送る。
1/25
電車で新宿都庁前へ。藤子プロで、先日お送りした資料に関して打ち合わせ。
午後、「別冊漫画ゴラク」副編集長のT橋さんに電話をし、週末にメールで送っておいた『龍のおんな』第17話の結果を聞くと、第1稿でOKとのこと。ムヒー、またひとつ仕事が終わった。しかし今月はまだ締め切りが残っているのだ。背筋がゾクゾクしてくるなぁ。
1/26
先日取材した『虫さんぽ』第8回の原稿を執筆。何とか1日で完成して編集部へ送るも、こちらは取材に協力してくださった方々にも読んでいただかなければならない。
手塚プロのI藤さんはかなり焦っておられる様子だ。しかし協力していただいたおひとりの方はメールもファックスもないというので、手塚プロからバイク便で原稿を届けてもらう。
その後、電話で返事をいただき、何とか間に合った。ふー。
1/26-28
ミリオン出版の新雑誌『ザ・タブー』の原稿を執筆。こちらも2日で終わらせる予定が3日かかってしまったが、何とか第1稿でOKとなった。しかし今月はまだ締め切りがあるのだーっ!!
1/29
小学館の学習図鑑の改訂原稿第2稿の続きを執筆。
1/30
午後まで前日の仕事の続きをやり、夕方、電車で池袋へ。今日は学生時代のワセダミステリクラブで同期だった友人が、ちょうど1年前に負った怪我がやっと治ったため、その快気祝いが行なわれたのだ。集まったのはミステリクラブ時代の同期や後輩などの仲間15人。気のおけない仲間との会話はいつでも楽しいものですね。ただし家に仕事を残していなければ!
2/1
夕方から急に冷え込み、ニュースでは今夜は雪とのこと。しかしちょっと外出する予定があったので、ついでに車でひと回りしてきた。最初のうちは大粒の雪がジャンジャン降っていても一向に積もる気配はなかったのだが、11時を過ぎたころから急に積もり出して、みるみるあたりは一面の雪景色となってしまった。東京で見る久々の雪景色はいいもんですね。
ただし翌朝起きたらもうほとんど雪は融けていて、何ともあっけない冬化粧ではありました。
今年初めてスタッドレスが活躍した(笑)。
雪は何気ない夜景も幻想的に変えてしまいます。
1/31-2/3
雑誌「G-Diary」のコラム『あの日の僕に帰りたい』第36回の原稿を執筆。例によって今回も、書きたいことが多すぎて内容の整理に手間取り、予定より1日遅れての完成となった。しかしこれでようやく1月中の締め切りが全部完了。え、もう2月だって!? 気にしないキニシナイ(笑)。
2/1
手塚治虫公式サイトの連載コラム『虫さんぽ』第8回が公開されました。無料で読めますので、下記リンクからぜひお立ち寄りください。
今回のテーマは『石津嵐さんと虫プロ界隈を歩く!』です。

参考リンク:
手塚治虫公式サイト
虫さんぽ第8回「練馬区富士見台・虫プロ界隈を石津嵐さんと歩く!!」の巻
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