[Home] [Workshop] [monologue] [Movie] [HongKong] [Toy] [Comic] [UnderGround] [guestbook] [Links] [my profile]

2010年2月

2010年2月15日

ロータス オーバーヘッドコンソール

 去年の春にせっかく購入したのに、それからず~~~っと取り付けていなかったボンゴフレンディのあるパーツを、この週末にやっと取り付けた!
 かつてロータスというキャンピングカービルダーから発売されていた、ボンゴフレンディ専用のオーバーヘッドコンソールである。

20100212a.jpg このオーバーヘッドコンソール、2007年ごろにカタログから消えてしまい、ずっと欲しくて予算に合う中古品を探していて、2009年6月、やっと入手した。しかし取り説がなかったため、ドリルで穴を開ける位置や使用するビスの長さなど、いまいち自信がなく、ずっとそのままになっていたのだ。
 しかし今回、ある掲示板で実際に取り付けた方にお話をうかがって取り付け後の画像を見せていただくことができ、詳細が確認できたので晴れて取り付けとなったのだった。ありがとうございます>さん!!

20100212b.jpg さっそく取り付け......と、その前に、上の画像のように、コンソールの断面に貼られているモールが傷んでいたため、これを何とかしないといけない。
 発売元のロータスのサイトを見たらモール単品での販売があったので注文した。

20100212c.jpg このコンソールに使われているモールと同色のモールはすでに廃盤だったが、USモール・ビーバーゴールドというモールがほぼ近い色だったのでこれを注文。左がオリジナル。右が今回注文したモール。ビーバーゴールドの方が若干色が薄いが、付けてしまえばほとんど気にならない程度の差だ。

20100212d.jpg モールは溝にはめ込むだけで特に接着剤などは必要ない。アールになっている部分は、上の画像のようにモール裏側の背骨(?)部分に切り込みを入れる。樹脂製のモールが寒さで硬くなっていたのでドライヤーで暖めたら簡単に加工できた。ハンマーで溝に打ち込んで両端をカッターでカットして交換終了。

20100212e.jpg いよいよ本体の取り付けだ。オーバーヘッドコンソールの車体への取り付けは前方2箇所と左右2箇所の4ヶ所をネジ止めする。前方2箇所はバイザーを止めているフックと共締めだ。ただし純正のネジでは長さが足りないので長いネジに交換する必要がある。
 そこでさっそくホームセンターへタッピングビスを買いに行ったのだが、なぜか純正のネジとピッチが合うものがない。左が純正のネジで、右が買ってきたステンレスタッピングビス5X25mmトラスタイプ。5mmのタッピングビスは全部このピッチなんだよね~。
 んー、失敗してネジ山をつぶしてしまったらどうしよう、と思うと一瞬使うのをためらったが「ええい、ままよ!」とネジ込んだら何の問題もなく固定できた。

20100212f.jpg 左右の端はドリルで穴を開けてタッピングビスで固定する。ここもKさんから情報を得ていたので、迷わずドリルでゴリゴリと穴を開けて5X16mmのタッピングビスで固定。

20100212g.jpg 助手席側の取り付けは、後期型フレンディの場合ちょっとした工夫が必要になる。というのは、後期型では新たにここにアシストグリップが追加されているからだ。このオーバーヘッドコンソールが発売された当時の前期型フレンディにはこのアシストグリップがなかったのだ。
 そこでアシストハンドルを天地逆にして、上の画像のようにネジのカバー部分を開けたままにしたら、うまくコンソールと干渉せずに両方取り付けることができた。
 アシストハンドルがちょっと握りにくくなってしまったが、まあ当面はこれでいいでしょう。

20100212h.jpg ということで無事に取り付け完了。上の画像がいまいち鮮明じゃないので、いずれもっとうまく撮れたら差し替えます。
 まだ物を入れて使っていないので詳細なインプレッションはできないが、現時点での印象を述べると、まず、頭上の圧迫感は予想していたほどでなく、乗り降りの際にも気をつけていれば頭をぶつけることもない。
 ただバイザーが中途半端に下にさがって来ているのが若干気になる。現在バイザーにはカード入れが付いているので、ここに差さっているカード類はコンソールの中に入れるようにしてバイザー小物入れは取り外す予定だ。
 コンソール内の容量は予想していたこととはいえ、かなり少ない。それと奥の方がのぞきにくいので、小さい物を無造作に投げ込んだりすると、奥の方に入り込んでしまい、取り出しにくそうである。
 この中には、ティッシュ、ハンカチ、タオル、シャンプー・リンス、歯ブラシ、耳栓、アイマスクなどのお風呂セットやお泊りセットを収納する予定なので、後日、100均でポーチとかタッパーなどの容器を買ってきて整理する予定です。

投稿者 黒沢哲哉 : 16:54 | コメント (0) | トラックバック

このページのトップへ

2010年2月13日

リヤガーニッシュ浸水の補修

 先日、フレンディのリヤガーニッシュ(テールゲートに付いている、反射板とテールランプが組み込まれた横長のパネル)のレンズ内に水が侵入しているのを発見!
「うわあ、またかよ」と落ち込むぼく。

20100208d.jpg

 実はこのリヤガーニッシュへの浸水は、フレンディ購入直後から始まっていたのだ。
 2006年1月、中古で納車されたボンゴフレンディ。そのときすでにリヤガーニッシュのレンズの内側にわずかながら水滴が付着していた。
 この修理は価格内に含まれないというので、まあ、遠目に見る分には大して目立たないし、いいか、とそのまま購入したら、それからしばらくして水滴は次第にひどくなり、しかも左・右・中央の3箇所全てのレンズ内に水滴が侵入してしまった。
 街中で注意して見ていると、他のフレンディもこのガーニッシュのレンズへの浸水が見られる車がけっこう多いことが分かった。
 リヤガーニッシュがこのデザインになったのは、1999年のマイナーチェンジ以降で、どうやら後期型フレンディの弱点であるようだ。
 ディーラーで価格を聞くとガーニッシュ丸ごと交換で10万以上するらしい。そこでネットオークションで中古のガーニッシュを見つけて落札。パネル部分の色がぼくの車の色と違っていたが、ちょうど他にもボディに気になる傷があったので、板金塗装を頼むついでにガーニッシュもボディと同色に塗装してもらい無事交換した。これが2007年秋ごろのことだ。

 ところが! それからおよそ1年後、またしてもその交換後のレンズが浸水してしまった!!

20100208a.jpg

 これが2008年10月のころの浸水状況。水滴が侵入したのは右側のレンズだけだけど、ああああ、なんでこうなるの!? もはや中古パーツも信用ならん! ということで、今度はネットオークションでコーキング剤を購入して、自分で補修をすることにした。

20100208b.jpg

 上の画像がオークションで購入したコーキング剤、送料込み1,980円。シリコン系の素材だが容器にラベルが付いていないのでメーカーも商品名も成分も謎。市販のシリコンコーキング剤と違って乾燥後も硬化しないというのがウリだったので、これを選んだ。色は黒、グレー、クリヤーがあり、購入したのはクリヤー。絞り出すためのコーキングガンはホームセンターで購入。280円くらい。

20100208c.jpg

 そして保管してあった最初のレンズの外周にコーキング剤をたっぷりと塗り込んだ。
 この作業をしていて分かったのは、レンズと裏側の反射板との接合面が平面ではなくて角の部分で階段状の段差になっていることだ。こんな構造をしていたら角の部分の接着剤の劣化による痩せや剥離ですぐに隙間ができてしまうよなぁ。
 昔の車はこうしたレンズ類は全てネジ止めされていて、レンズと反射板との間にはゴムパッキンが挟み込まれていた。だから接合面が平面でなく段差になっているなど考えられない構造だったのだが......。今は接着剤で固定だから、デザインや作りやすさを優先して安易に設計すると、こんな水密性の低い構造にしてしまうのだろう。
 おまけにレンズの左右の端にくる上下の角の部分が鋭角になっていて、しかもその角で厚みが薄くなるデザインがされているため、この角が欠けやすいのだ。実際オークションに出品されている中古レンズにも、この角が割れているものがかなりある。
 こういう設計段階で回避できる問題は、設計の人の間でノウハウとしてしっかり受け継がれていかないと、また次の車でも同じ問題が起こると思うんだけど、大丈夫ですかね!? →マツダさん。

 ということで話は先日に戻る。2008年10月にコーキングした右のレンズは、今日までまったく浸水せずいい感じだったのだが、今度は左側のレンズが浸水してしまったのである。あのとき、念のため左側もコーキングしておくんだったなぁ、と後悔しても後の祭りだ。
 だけどまぁ、もう慣れたもんですわ。前回と同様に、保管してあった前のレンズ(捨てなくて良かった)にコーキングをほどこし、浸水したレンズと交換した。そして再びクリアーなリアガーニッシュが甦りました!!
 不安材料としては、中央の反射板部分がまだコーキングしていない中古パーツのままなんだけど......ここだけは浸水しないでくれ! とひたすら願うぼくなのであった。

投稿者 黒沢哲哉 : 17:41 | コメント (0) | トラックバック

このページのトップへ

2010年2月10日

竜馬の妻・お竜さんのお墓参り

2/9
 朝9時半に家を出て車で新宿へ。「別冊漫画ゴラク」編集のT橋さんと、新宿西口のスバルビル前で待ち合わせ。
 今日は神奈川県横須賀市にある、龍馬の妻・お竜さんのお墓へお墓参りに行くのだ。
 お竜さんには「別冊漫画ゴラク」で連載中の『龍のおんな』で、勝手に主人公になっていただいているが、年末から年明けにかけてコミックス1、2巻が出たし、全3巻の予定で連載中の物語もいよいよ佳境に入ってきたこともあり、T橋さんと去年から「一度、ぜひお墓参りに行きましょう」と約束をしていたのだ。
 ナビに案内されながら第三京浜→横浜横須賀道路と乗り継いで新宿からおよそ1時間半、お竜さんが眠る、神奈川県横須賀市大津町にある信楽寺(しんぎょうじ)に到着した。

20100209a.jpg

 狭い住宅街の路地の奥、小高い山がそのままお寺になっている。平日でもあり、ひっそりとして境内にはぼくら以外、誰もいなかった。

20100209b.jpg

 山門脇に建てられている説明看板。

20100209c.jpg

 本堂脇を左へ入った奥の小高い場所に立っているお竜さんのお墓。建立当時は山門を入ってすぐの右脇に建てられていたというが、平成10年にお寺が改修された際に現在の場所に移されたのだとか。墓碑銘は「贈正四位ママ本龍馬之妻龍子之墓」とある。

20100209d.jpg

 墓前には龍馬ビールや、西郷と龍馬らしきフィギュアなども置かれていた。ぼくらも持参したコミックスとお花とお線香を供えてお祈りする。

 事前に打ち合わせをしていたわけではないのに、ぼくは行きがけにお花を買ってきており、T橋さんは線香を買ってきていた。不思議!

 以下、資料本からの要約。お竜が亡くなったのは明治39年(1906年)1月15日。だけどその晩年は不遇だったそうで、死後8年間はお墓もなかった。それが、高知の坂本龍馬の同輩・香川敬三などの寄付により、大正3年(1914年)8月16日にようやくこの墓碑が立った。建立者の名前としては、お竜の実妹・光枝の名が刻まれている。

20100909map.jpg
©2010 INCRIMENT P CORP.

投稿者 黒沢哲哉 : 00:08 | コメント (0) | トラックバック

このページのトップへ

2010年2月 7日

締め切り連チャンと真夜中の雪景色ドライブなど

1/17-19
 今週はずっと「別冊漫画ゴラク」の『龍のおんな』第17話原作第1稿を執筆中。

1/20
 手塚治虫公式サイトの連載コラム『虫さんぽ』第8回の取材。今回の目的地は練馬区富士見台の虫プロダクション界隈を散歩する。
 朝8時半に現地に到着しなければいけないため、今回も前の晩から車で行ってコインパーキングで車中泊。
 朝の取材を無事に終えて、午後からは案内をしてくださる元虫プロの作家さんや、手塚プロ担当編集I藤さんらと合流。無事に取材を終えた。
 取材の中味については、このエントリーの一番下に掲載した外部リンク、手塚治虫公式サイト内の「虫さんぽ」でお読みください。

1/22-23
『龍のおんな』原作執筆を再開。
 そして23日、まだ終わらないのだが、今日はどうしても夕方までに仕事をまとめなくちゃならないのだ。

 と言ってたら何とか間に合って、すぐに外出のしたくをする。今日は柴又商店街の中の小さなレストランで、小学校時代の仲間とプチ同窓会があるのだ。およそ2年前の2007年11月に大きな同窓会がおよそ38年ぶりに開かれて、そのときは先生も招いて盛大にやったんだけど、今回は一部の人でこじんまりとやる、まぁ早い話が幼なじみの飲み会です(笑)。
 集まったのは30人くらい。2年前の同窓会でホントに超久しぶりに再会した人も今回いっぱい出席していて、もう昔話はその時にしちゃったし、何を話そう......などと思っていたら、まあ、幼なじみというのは、何だかんだでくだらない話をしていれば間が持つもんですな(笑)。結局、二次会にも参加して帰宅したのは2時過ぎだった。
 驚いたのは、この年になってつい1年前に結婚した人がひとり、近々結婚する人がひとり、もうじき結婚しそうな人がひとりいたこと。この歳になってみんな何が起こったんだ!?

1/24-25
 小学館の学習図鑑の改訂原稿第2稿を執筆。メールで編集部へ送る。

1/25
 電車で新宿都庁前へ。藤子プロで、先日お送りした資料に関して打ち合わせ。

 午後、「別冊漫画ゴラク」副編集長のT橋さんに電話をし、週末にメールで送っておいた『龍のおんな』第17話の結果を聞くと、第1稿でOKとのこと。ムヒー、またひとつ仕事が終わった。しかし今月はまだ締め切りが残っているのだ。背筋がゾクゾクしてくるなぁ。

1/26
 先日取材した『虫さんぽ』第8回の原稿を執筆。何とか1日で完成して編集部へ送るも、こちらは取材に協力してくださった方々にも読んでいただかなければならない。
 手塚プロのI藤さんはかなり焦っておられる様子だ。しかし協力していただいたおひとりの方はメールもファックスもないというので、手塚プロからバイク便で原稿を届けてもらう。
 その後、電話で返事をいただき、何とか間に合った。ふー。

1/26-28
 ミリオン出版の新雑誌『ザ・タブー』の原稿を執筆。こちらも2日で終わらせる予定が3日かかってしまったが、何とか第1稿でOKとなった。しかし今月はまだ締め切りがあるのだーっ!!

1/29
 小学館の学習図鑑の改訂原稿第2稿の続きを執筆。

1/30
 午後まで前日の仕事の続きをやり、夕方、電車で池袋へ。今日は学生時代のワセダミステリクラブで同期だった友人が、ちょうど1年前に負った怪我がやっと治ったため、その快気祝いが行なわれたのだ。集まったのはミステリクラブ時代の同期や後輩などの仲間15人。気のおけない仲間との会話はいつでも楽しいものですね。ただし家に仕事を残していなければ!

2/1
 夕方から急に冷え込み、ニュースでは今夜は雪とのこと。しかしちょっと外出する予定があったので、ついでに車でひと回りしてきた。最初のうちは大粒の雪がジャンジャン降っていても一向に積もる気配はなかったのだが、11時を過ぎたころから急に積もり出して、みるみるあたりは一面の雪景色となってしまった。東京で見る久々の雪景色はいいもんですね。
 ただし翌朝起きたらもうほとんど雪は融けていて、何ともあっけない冬化粧ではありました。

20100201a.jpg

 今年初めてスタッドレスが活躍した(笑)。

20100201b.jpg

 雪は何気ない夜景も幻想的に変えてしまいます。

1/31-2/3
 雑誌「G-Diary」のコラム『あの日の僕に帰りたい』第36回の原稿を執筆。例によって今回も、書きたいことが多すぎて内容の整理に手間取り、予定より1日遅れての完成となった。しかしこれでようやく1月中の締め切りが全部完了。え、もう2月だって!? 気にしないキニシナイ(笑)。

2/1
 手塚治虫公式サイトの連載コラム『虫さんぽ』第8回が公開されました。無料で読めますので、下記リンクからぜひお立ち寄りください。
 今回のテーマは『石津嵐さんと虫プロ界隈を歩く!』です。

20100201c.jpg

参考リンク:
手塚治虫公式サイト
虫さんぽ第8回「練馬区富士見台・虫プロ界隈を石津嵐さんと歩く!!」の巻
※新しいウィンドウが1枚だけ開きます。

投稿者 黒沢哲哉 : 17:39 | コメント (0) | トラックバック

このページのトップへ
2010年1月 | メイン | 2010年3月