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2009年6月

2009年6月24日

中山慶治写真展「1979年の迷宮」を観る

6/21
「別冊漫画ゴラク」の『龍のおんな』第10話原作第1稿を執筆。数日前から前半部分を書いては書き直しを繰り返していたが、50%を過ぎたあたりからようやく光が見えはじめた。
 22:00、ようやく第1稿が完成。メールで編集部へ送る。

6/22
 13:00、電車で高田馬場へ。手塚プロで担当プロデューサーI藤さんと、手塚治虫公式サイトのコラム『虫さんぽ』『あの日あの時の手塚マンガ』打ち合わせ。新たにスタッフに加わったO輪さんを紹介していただく。
 現在公開中のコラムでストックは消化してしまったため、早急に次の企画を進行させないといけない。さっそくいくつかの企画を同時にスタートさせることになった。

20090622.jpg

手塚プロ入り口で出迎えてくれるアトム像。
ちょっと顔が汚れちゃってますか?

 19:00、「別冊漫画ゴラク」担当編集T橋さんから電話があり、昨日送っておいた『龍のおんな』第10話原作第1稿について打ち合わせ。後半部分はこのままでOKだが、やはり悩んだ前半部分が少しもたついているということで、そこを修正すべく相談し、なおかつ、後半部分との統一感を出す構成にすることで合意した。

6/23
 さっそく『龍のおんな』第10話第2稿を執筆。今度は方向性が見えているので迷うことなく書きあがり、21:01、完成した原稿を編集部へ送る。

6/24
 13:30、電車で八幡山へ。大宅壮一文庫で手塚治虫公式サイトコラムの資料調べを行なう。目指す資料は絞られているからすぐに検索して閲覧させてもらうつもりでいたら、いつもはほとんど誰も使用していない1985年以前のインデックスを他の人が使用中で検索できない。
 大宅文庫は、1985年以降のデータは電子化されていて、何十台も置かれているパソコンで検索できるが、それ以前の資料は、数冊の冊子になっている辞書のようなインデックスを使わなければならないのだ。
 仕方ないので、しばらくボーッとして無為な時間を過ごした後、ようやくインデックスが空いたところで飛びつき、すかさず検索。すぐに資料をコピーしてもらって任務を終了した。

 16:00、新宿から地下鉄に乗り換え、四谷三丁目へ。ここで高校時代からの友人で写真家の中山慶治くんが写真展を開催中なので、見学に行った。

20090624a.jpg 写真展のタイトルは、中山慶治写真展「1979年の迷宮」。今からちょうど30年前、中山くんが日大芸術学部写真学科の学生だった21歳の時に撮影した、東京・下町の懐かしい路地裏の写真の数々が展示されている。
 いまでこそ東京下町の路地裏といえば、昭和レトロブームとも相まって街歩きスポットとして注目を集め、デジカメ片手に散歩をするという人も多いが、当時はそんなことをしている人はほとんどおらず、中山のテーマにようやく時代が追いついたというところか。

20090624b.jpg 写真を1枚1枚見ていくと、懐かしい風景と共にあのころの思い出がよみがえってくる。何しろ撮影時に、ぼくもその場に立ち会っていた写真もあるから、特にそんな写真は懐かしさもひとしおだ。  おもにロケ地となっているのは東京墨田区の鳩の街周辺の路地。ここは今も昭和30年代のような懐かしい風景が多く残る場所だけど、30年前は、さらに昔の昭和初期から戦後すぐのころの時代の匂いさえ感じさせてくれるような、ほとんど時の流れから忘れ去られたような街だった。
 そうした戦前から終戦直後の時代の空気をイメージしながら撮影されたのが今回の写真群であり、ここに記録されているのは単なる30年前の風景ではない。30年前に中山くんがレトロ(という言葉すら一般的ではなかった)と感じた、いわば心象風景なのである。
 そして写真はすべて、あえて赤外線フィルムを使って撮影されている。赤外線フィルムで撮影すると、日中の太陽光の下では、赤いものや、青々とした木々の葉などが真っ白に飛んでハレーションを起こしたような効果が出る。またそのハレーションがソフトフォーカス効果にもなり、幻想的な、夢の世界のような効果を生むのだ。
 今回、この写真展を見せていただいて感じたのは、30年の時の流れが、彼の写真に、当時見せてもらったときとは違う新たな価値を加えているということだ。今のように誰もが当たり前に写真を撮る時代ではなかった当時、中山くんがカメラを携えてそこに出向き、その風景に何かを感じてシャッターを押した。その行為自体が、30年の時を経て、とても貴重な時代の記録(あるいは記憶)になっているのである。
 いま多くの人が大量に撮影しているデジカメ写真や携帯の写メなど。それらも今後30年の時が過ぎると果たしてそんな価値が出てくるのだろうか。

20090624c.jpg 中山慶治くん。最近は、『日本カメラ』などにも作品を発表している。
 写真展の開催期間は今週末までだけど、興味のある方はぜひ! 開催期間 28日(日)まで。12:00~19:00(最終日~16:00) 会場 四谷三丁目Roonee 03-3341-8118

参考リンク:
デジカメWatchの中山慶治写真展「1979年の迷宮」紹介記事
※新しいウィンドウが1枚開きます

投稿者 黒沢哲哉 : 23:23 | コメント (2) | トラックバック

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2009年6月20日

懐かしの銀玉鉄砲 復刻!

6/18
 19日締め切り予定でこの前の週からずっと「別冊漫画ゴラク」の『龍のおんな』原作第10話第1稿を執筆......しているのだが、今回は構成が複雑な部分があり、なかなか進まず。
 途中、手塚プロのI藤さんから連絡があり、手塚治虫公式サイトのコラム『虫さんぽ』の第4回を仮公開したのでチェックして欲しいとのこと。えーっ、と焦るぼく。
 実は原稿は先月すでに9割方完成していて、後は最終的な確認事項を記載するだけの状態になっていたんだけど、その途中段階のダミーの原稿で公開されてしまっていたのだ。
 焦って手塚プロに電話をして、追加取材を行い、決定稿をメールで送る。何とか本公開に間に合った。ふー。

6/19
『龍のおんな』の原作は今日も進まず、結局、週末に持ち越しだ(涙)。

 ということで、仕事から逃避して、ここでちょっと前に発売された懐かしいおもちゃを紹介します。

20090620a.jpg

 去る2009年4月、銀玉鉄砲の老舗である株式会社セキデンから、昭和37年に発売された懐かしの銀玉鉄砲セキデンオートマチック SAP.50が、当時そのままの形で復刻版として発売されたのだ!! しかも1丁900円。うおおっ!! 左のケースに入っているのが復刻版のSAP.50。右はぼくのコレクションのオリジナル SAP.50(後期型)である。

20090620b.jpg

 セット内容は、銀玉鉄砲本体1丁と、銀玉1箱、そして取り説が1枚だ。復刻された SAP.50という銀玉鉄砲は、銀玉鉄砲の中でも、最も売れた大ヒット商品で、これで遊んだ記憶をお持ちの方はかなり多いと思う。SAP.50には発売時期によっていくつかのタイプがあり、今回復刻されたのはグリップ(握り)の部分に鰐皮のような模様がモールドされた初期型タイプだ。

 そして当時、ぼくが銀玉戦争で最も多用していたのがまさにこのSAP.50初期型だったのだ。

 セキデンの銀玉鉄砲のヒットによって、すぐに他のメーカーからも続々と銀玉鉄砲が発売されるようになり、銀玉鉄砲の群雄割拠の時代が訪れるが、セキデンはこのデザインを守り通した。ただし途中で、1枚目の写真で紹介したような、グリップ部分を当時の近代拳銃の流行を取り入れたサムレスト風モールドに変更したものを投入したのだった。ぼく的にはこの変更は、当初はバランスが悪くなったように思い不満だったが、やがて見慣れてくるとスマートでこれはこれでお気に入りとなったのだった。

 SAP.50には、このほかにもシルバーに塗装されたものや、ゴールドやネイビーブルーのプラスチックで成型されたもの、サイレンサーなどの付属品が付いたものなど、いくつかのバリエーションが存在する。

20090620c.jpg

 付属する銀玉。紙箱も当時のものを再現しているが、折り目のエッジがビシッと立っているので何となくニセモノっぽい(笑)。当時の銀玉の箱は1つずつ内職のおばちゃんが手で折って組み立てていたのだそうで、もっと折りが甘かったのだ。

 ところで今回は、銀玉だけの単品売りがないのが残念。撃って遊ぶには市販の6mmBB弾も使えるので心配はないのだが......。

20090620d.jpg

 銀玉を割ってみた。素材は初期の銀玉とは違い、1970年代後半から登場した、後期の銀玉と同じ軟質プラスチックだった。手で触っても手にアルミ粉が付かないので銀色も塗装のようだ。初期の銀玉は珪藻土という壁土にアルミ粉をまぶしたものだったので、大きさにばらつきがあり、手で触ると手が銀色になり、銃の中で割れて弾づまりを起こすこともしばしば、というシロモノだった。ただしこの銀玉の開発によって50発5円という当時としては画期的な安さを実現し、銀玉鉄砲は野外で思い切り撃って遊べるおもちゃとなったのである。

2009/08/04追記:アキさんからのコメントで、今回の復刻版の銀玉の材質は、石油由来のプラスチックではなく、土に還る素材を使用しているそうです。またアルミも単なる塗装ではなくコーティングだというご指摘をいただきました。詳しくは下記のコメントをお読みください。アキさん、ご指摘ありがとうございます。

20090620e.jpg20090620f.jpg

 上が復刻版で、下がオリジナル。オリジナルはやすりのようにザラザラした凹凸がありプラスチックの色もテカテカしているのに対し、復刻版はマット地でなめらかだ。また復刻版では、スライドカバー側面の「SekidenAutomatic SAP.50」という文字の下に点在していた星マークや、パテント関係の文字のモールドなどがなくなり、全体的にすっきりした印象だ。

20090620g.jpg

 銃口を見た。左が復刻版、右がオリジナル。この位置から見ると金型の精度の違いが歴然。どうやら今回、新たに金型から作り直したようである。ちなみに、SAP.50は銃口が上と下に2つあるが、上の銃口はダミーで、銀玉は下の銃口から発射される。

20090620h.jpg20090620i.jpg

 分解してみた。上が復刻版で下がオリジナル。構造的には変わりないが、内部も加工時のヒケや金型のキズなどがなくなりきれいになっている。特にトリガー(引き金)の工作精度が上がっているのは、動作のスムースさに大きく寄与しているようだ。

 撃ってみると、実際にトリガーの動きが復刻版の方がはるかにスムースで引き金が「しなやか」な感じがする。またこれにはスプリングの品質が良くなっていることも関係しているのではないだろうか。

 バイーンともバビョーンとも聞こえるSAP.50独特の発射音も、当時さながらの懐かしさで楽しめるが、ここでも銃全体が振動して発する夾雑音が低減して音が上品になっている感じだ。

20090620j.jpg こちらはオリジナルのSAP.50初期型。今回、コレクション倉庫から探し出せなかったので、この画像は、2年ほど前に雑誌に掲載したコラム用に撮影した写真だ。組み立てにはマイナスネジが使用されている。

20090620k.jpg

 これは昭和34年に発売された銀玉鉄砲第1号セキデン マジックコルト MC-50。40発の銀玉を入れることができるが、連発ではなく、銃尾から突き出た棒(コッキングロッド)を引っ張って1発ずつ撃つ単発式だった。

 画像のように、凹刻されたモールド部分にクレヨンを塗り込んで浮き立たせたりして、愛銃を自分なりにカスタマイズするのが流行したのだ。ぼく的にはむしろこっちを復刻して欲しかったですね。

関連記事:
 GUNS&ミリタリーおもちゃ箱 第4回「銀玉鉄砲」の巻
※新しいウィンドウが1枚開きます。

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投稿者 黒沢哲哉 : 00:32 | コメント (2) | トラックバック

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2009年6月13日

富津グルメドライブ

6/11
 8:00起床。今日は取材を兼ねて小中学校時代の友人S川くん、I上くんのふたりとともに、ボンゴフレンディで、千葉県の保田まで魚料理を食べるグルメドライブに行く予定なのだ。
 朝起きると、予報どおり雨だった。あいにくのタイミングで関東も今日から梅雨入りだそうだけど、午後からは晴れ間も出るという天気予報を信じて雨天決行だ。

 10:30、友人宅を順番に回ってふたりを拾い、柴又を出発。京葉道路→館山自動車道を乗り継いで、12:00過ぎ、めざす保田の海鮮料理のお店に到着した。一度も入ったことがないお店だが、ネットでの情報ではわりと評判が良かったので、ここにしたのだった。しかしここは観光バスも来るような大きなお店で、味は悪いとは言わないが、価格対味比で考えるとまあフツーだった。したがって店名の紹介は控えておきます。

20090611a.jpg

 3人で注文した特上刺身盛り合わせ。2,680円。サザエが美味しかったです。このほかに各自が定食を注文。ぼくはマコカレイの煮物定食を食べた。

 店を出てからは、途中、お土産屋さんを見つけるたびに立ち寄りながら、富津岬を目指す。広告代理店を経営するS川くんは、社員たちのために干物やお菓子をドッサリ購入。I上くんは自宅へのおみやげに「クジラのタレ」を購入していた。
 クジラのタレって昔から名前は知ってたけど一度も食べたことがない。美味しいのかなぁ。興味はあったけど、ぼくは今回はハマグリを買ったのでパス。次回チャレンジしてみます。

20090611b.jpg

 富津岬へ到着するころには雲に切れ間が見え始め、雨もあがり始めた。

 上の画像はI上くん撮影。ぼくの後方では、S川くんがケータイの電波状態のよさそうな場所を探して海辺をウロウロしている(笑)。このあたりは見通しがいいのになぜか携帯の電波状態が悪いようだ。ドコモのアンテナ表示も1本しか立っていなかった。

20090611c.jpg

 上の画像は、富津岬の海水浴場脇にたたずむ旧日本軍の着弾観測所跡。ちょうど2年前にも取材で訪れた場所である。
[2007/07/16-17 房総半島取材旅行]

 前回来たときはひとりだったので、砂浜でスタックしたら抜けられなくなるから、500メートルほど手前に車を置いて歩いたのたが、今回は男3人なのですぐ横まで乗り入れてみた。

 ところで今回、参考資料として持参した『別冊歴史読本 旧軍史跡』という本によると、ここ富津岬にはかつて旧日本軍の武器試験場があり、この着弾観測所跡以外にも、周辺にはまだいくつもの旧軍遺跡があるらしい。今回は探訪できなかったのでまた日をあらためてリベンジしたい。

4404036329旧軍史跡―現代に遺された戦争遺産 (別冊歴史読本 32)
新人物往来社 2008-12

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 17:00ごろ柴又へ帰着。友人たちを家に送り届けたあと、コイン洗車場でフレンディを洗車。塩気と砂を洗い落として帰宅した。
 さっそく、おみやげに買ってきたハマグリで夕食をとる。

20090611d.jpg

 購入したハマグリは直径12cmほどの大きなものが3個で1,350円だった。2つは網焼きにして醤油をかけて食べ、1つは画像のような潮汁にしてみた。

 作りなれていないので、潮汁は塩加減が若干濃くなってしまったが、いずれも新鮮な海の香りがしてプリプリで最高にうまかった。本当はこういうのを現地で食べるドライブを期待していたんですけどねー、グルメドライブもまたリベンジですね!!

投稿者 黒沢哲哉 : 16:00 | コメント (8) | トラックバック

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2009年6月 8日

車と青春と友情と

 朝9:00起床。週末に終わらせるはずだった小学館『学習まんが人物館』の原作第3章第3稿を執筆。しかしまだ終わらん(悲)。

 11:30、車で自宅を出て亀有のロイヤルホストへ。ここで高校時代からの友人であるK子くん(※注・男性である)とK慈くんのおふたりと待ち合わせ。
 先日、数年ぶりにK子くんが我が家へ来た際に、「コラム記事に使いたいので、昔、一緒にラリーをやっていたころに撮影した写真を借してもらえないか」とお願いしたところ、さっそく探してくれたので、それを借りがてら一緒にランチを食べることにしたのだ。みんなフリーだから平日の昼でもOKなのだ。
 3人で会うのはおよそ4年ぶり。そのときも、数年ぶりに会ってお昼を食べたのだったが、またそれ以来、ずっとごぶさたしていたのだった。
 おととし、ぼくら3人の共通の友人が病気で亡くなったとK慈くんからメールで知らせを受けたのだが、そのときは、ぼくは仕事で行けず弔電を送ったのみだった。
 それが、ふと気づいてみれば、何と偶然にも昨日がその友人の三回忌だったんだそうで、もしかしたらその友人がまたぼくらを再会させてくれたのかもしれないな、と思ったり。Hくん、ありがとう。
20090608.jpg ところで今日、K子くんが乗ってきたのが、平成元年式のTOYOTA CELICA GT-FOURのラリーレプリカ仕様だった。左がそのGT-FOURで、その奥がぼくのボンゴフレンディである。何とこのGR-FOUR、ステッカーやストライプまで全てカッティングシートで自作したのだという。そしてロールバーや足回りなどもバリバリにいじっているが、それでも完全車検対応の合法チューンなんだとか。
 食事の後、K子くんから「運転してみる?」と言われた。20年前ならよろこんで運転させてもらったところだが、マニュアルミッション車にはもう10年以上乗っていないから、最近の車ならまだしも、気難しそうな旧車を運転する自信はなく遠慮した。結局、K慈くんの運転で助手席にのってひと回りしたが、やっぱこういうスポーツ車は、ほんの少し流して走っただけでも血が騒ぐというか、ワクワク感がたまりませんね。フレンディのほかにもう1台所有できる余裕があるなら、コンパクトな軽量スポーツカーが欲しいなぁ......。


 16:00、ふたりと別れ、いったん帰宅して、すぐにまた車で外出。首都高で調布方面へと向かう。「少年ガンガン」で『マジック・マスター』の連載をしていたころに、打ち合わせでよく使わせてもらっていた居酒屋おいらせのマスターY田さんが亡くなり、今日がお通夜だったのだ。享年81歳。2003年に『マジック・マスター』の取材で、プロマジシャンたちと一緒にアメリカのロサンゼルスへ旅行したときにはY田さんも同行され、博学で人生経験豊富なY田さんから、道中、映画や音楽の話、戦争時代の話、終戦直後の話など、さまざまな興味深いお話をうかがったことを思い出した。[2003年9月アメリカ取材旅行]※新しいウインドウが1枚開きます

 そして、ここでも故人のおかげで、ガンガン編集のN川さんとおよそ数年ぶりに再会することができた。Y田さんありがとう。そしてご冥福をお祈りいたします。

投稿者 黒沢哲哉 : 23:12 | コメント (0) | トラックバック

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2009年6月 4日

再訪!手塚治虫展

20090604a.jpg 朝8:00起床。先日取材で行った江戸東京博物館の手塚治虫展を再訪する。取材の日は時間をかけて見られなかったので、いずれあらためて行く予定ではいたんだけど、何でも今日6月4日はむしの日ということで、先着300名に記念品がもらえるというのだ。だとしたら今日、行くしかないでしょう!!
 結局、昨日、遅く寝たのですぐには起きられず、家を出たのが9時過ぎ。博物館へは10時ごろに着いたのだが、それでもめでたく記念品をもらうことができた。

20090604b.jpg 記念品は、今回の手塚治虫展限定アイテムである鉄腕アトムのポストカードだった。しかも会場入り口でカードを配っていたのは、先日、取材でお世話になった学芸員のK上さんだった。お忙しそうだったので、軽くごあいさつをして、すぐに会場内へ。あっと、その前に、取材のときにK上さんがすすめておられた音声ガイドシステムアトムツアーズの携帯端末を500円で借りる。これは、この端末を首から掛けてヘッドフォンを頭からかぶり、指定箇所で指定ボタンを押すと、手塚眞氏や藤子不二雄A氏、アトム、ブラック・ジャックの声で展示のガイドが聞けるというもの。実際、使ってみると、展示の見所が分かりやすく解説されていて、効率よく見られた。特に藤子不二雄A先生が、手塚治虫の『新宝島』に出会ったときの衝撃を語る言葉を聞きながら『新宝島』の生原稿を見るなんていうのは、なかなか感動的な体験でした。これはぜひオススメです。
 手塚治虫展は6月21日まで開催されています。前回取材に行ったときより、混雑してましたから、これから後半へ向けて次第に混んでくると思われます。行こうと思っておられる方はお早めに!!

参考リンク:
江戸東京博物館「手塚治虫展」
手塚治虫.net「虫さんぽ 番外編 手塚治虫展と両国・浅草界隈」
※新しいウインドウが1枚だけ開きます。

 手塚治虫展をお昼ごろまで見学し、その後、電車で浅草へ。お腹が空いたので、浅草通りの雷門の並びにあるステーキのお店ちんや亭で、ハンバーグ定食を食べる。このお店、すぐ隣のすき焼きの名店ちんやが経営する全席カウンター式のステーキ屋さんで、高級なお肉がランチタイムには非常にリーズナブルな価格で食べられるのだ。
 10年以上前、仕事でよく浅草を通ったころには、度々寄っていたお気に入りのお店である。ただ10年前はもっと安かった気がするのだが......10年もたてば仕方ないか。
 ということで、今回は絶品のサイコロステーキはあきらめてハンバーグに。しかしハンバーグもジューシーでしっとりと柔らかく、味噌汁とサラダが付いて1200円は大満足でした。

20090604c.jpg お昼時間を過ぎたところで、ここから100メートルほど行ったオレンジ通り沿いにある喫茶店アンヂェラスへ向かう。ここも、手塚治虫展と同時に『虫さんぽ』で取材させていただいたので、ホームページの記事をプリントアウトしたものを持参したのだ。せっかくなので、お店の名前にもなっている名物ケーキアンヂェラスとダッチコーヒーをいただくことにした。このアンヂェラスというケーキは、かつて手塚治虫が愛したというもので、表面のチョコの食感と舌の上でフワッ溶ける生クリームが最高のハーモニーであった。そしてご主人からは、手塚治虫や山下清の直筆サインを見せていただいた。す、素晴らしい!!

 その後、電車で神保町へ。いつもの喫茶店古瀬戸で、「別冊漫画ゴラク」編集のT橋さんと、次回『龍のおんな』プロット打ち合わせ。「別冊漫画ゴラク」は4月から、それまでの月2回刊から月刊に変わったのだが、その結果、売り上げは伸びているそうで、まずは月刊化成功らしい。『龍のおんな』の評判も上々だということなので、あとはさらに盛り上げる方向である。

 ところで、今回は手塚治虫展に行くということで、電車の中で読む本にはコレを持っていった。

4416909233「父」手塚治虫の素顔
あいうえお館 2009-05

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 タイトルどおり息子だけが知るマンガの神様の素顔が軽妙な筆致で率直に描かれていてひとことひとこと実に興味深い。学生時代、眞くんから断片的に聞いた話などもチラホラ出てきてニヤリとしたり。マンガの神様の人間的な側面が分かる貴重な資料です。

 20:00過ぎ、帰宅して夕食を終えたところへ、携帯が鳴った。先日、ブログにコメントを書いてくれたリキである。
リキ「黒沢、いま家?」
黒沢「そうだけど」
リキ「いま、お前んちの前にいるんだけど」
黒沢「えーっ?」
 家を出てみたら何と、本当にパジェロミニでリキが来ていた。最後に会ったのは4~5年前だろうか。お互い、そんなに遠くに住んでいるわけじゃないんだけど、仕事が違うと予定も違ってなかなか会うことができず、ごぶさたしていたのだった。そこで、ぼくのコラムのために資料を借りたいというお願いをして、あらためて近々また再会する約束をした。いやー、びっくりしました。

投稿者 黒沢哲哉 : 21:43 | コメント (0) | トラックバック

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2009年6月 1日

ヘッドライトの傷消し

 少し前の話になるけど、4月6日にDIYで施工したヘッドライトの傷消しをレポートします。

20090406a.jpg

 上の画像で見えるだろうか。フレンディのヘッドライトレンズの上端のヘリの部分に細かい傷のようなものが! しかも両目とも同じ状態になっている。これはどうやらプラスチック(ポリカーボネイト?)製レンズの表面にかけられていたコーティング皮膜が痛んで剥がれ落ちてきている状態らしい。
 ネットで検索すると、プラスチック製ヘッドライトレンズのこうしたコーティング損傷や黄ばみに悩んでいる人は多いらしく、いくつものブログや商品、業者がヒットした。
 そうした中で、対処法としてもっとも確実そうなのは、やっぱり業者に頼むことだろうか。例えばカー用品量販店ジェームスのやっているレンズ黄ばみ除去サービスなどは、ネットでもわりと評判がいいみたいだ。
 だけどうちのフレンディは、現状では業者に頼むほどひどい状態ではないので、各サイトを熟読し、DIYで最も良さそうな方法を試してみた。

20090406b.jpg

 まずウエスに研磨剤の王様ピカールを垂らし、それで傷の部分を削り取るように磨く。ただしあまりやり過ぎるとレンズが雲ってしまうので注意が必要だ。これでも落ちないようだったらサンドペーパーでやる荒業も考えていたが、30分ほど磨いたら何とか落ちてくれた。その後、細目のコンパウンドでツヤを復活させる。

20090406c.jpg

 次に登場するのがコレ。CARBREAKというお店からネット通販で購入したモールガラスコート剤である。
 ヘッドライトの他に、車に使われているプラスチックや合成ゴム部分(バイザー、バンパーガード、グリル、モール、ウインカーレンズなど)に使用することができ、表面に保護皮膜を作ると同時に失われたツヤを取り戻すという。
 このほかに脱脂クリーナー液や専用スポンジ、専用クロスなどが付属して2,430円だった。

 施工手順は、プラスチック表面の汚れと水分を完全に除去した後、脱脂クリーナーで脱脂。その後、専用スポンジでコート剤をサッと塗布する。あとは付属のクロスで拭き取れば完了だ。力も必要ないし、実に簡単である。
 注意点としては、コート剤を塗布する前に汚れを完全に除去しておくこと。そうしないとコート剤でその汚れの上から覆ってしまうからだそうだ。

20090406d.jpg

 コート剤施工後の状態がこれ。ご覧のとおりクリアーなヘッドライトがよみがえった
 その後、ずっと経過を見ていたが、今日(6/1)の時点で施工から約2ヵ月が経過してもレンズはいまのところ施工直後と変わりなくクリアーな状態を保っている。これなら安心してオススメできます。

モールコーティングセットの販売元サイト(当方はリンク先とは何の関係もありません)
CARBREAK(カーブレイク)
商品紹介ページは[こちら]
※リンク先をクリックすると、新しいウインドウが1枚だけ開きます。

2009/6/2追記
 今後も現在のコーティング状態を維持するためにどうメンテナンスしたらいいかをCARBREAKにメールで問い合わせたところ、すぐに返事をいただいた。検索で来られた方のために内容を要約して紹介しますね。

[メンテナンス間隔はどのくらいでやればいいか?]
 メーカーや車種によって異なり一概には言えないので、状態を見ながら自身の判断でやって欲しい。
[メンテナンスの方法は?]
 コンパウンドでガラスコート表面に付着した汚れや傷を落とした後、再度モールガラスコートを施工する。コンパウンドではなくピカールを使う場合は注意が必要。粒子が粗いので磨き傷によって曇りが生じる場合がある。

とのことです。迅速な回答ありがとうございました。ぜひこの方法でやっていこうと思います。

2010/1/5追記
 施工から8ヶ月が経過してコーティングが剥げてきたので、再度施工した。
 そのエントリーは下記。
2010年1月5日:ヘッドライトの傷消し・2回目
 それからカーブレイクのサイトを確認したところ、モールコーティングセットの価格改訂があったようで、2010/1/5の時点で2,530円(税込み)となっていました。

投稿者 黒沢哲哉 : 16:58 | コメント (2) | トラックバック

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