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2007年3月

2007年3月29日

ナックルズGOLD打ち合わせ

 18:00、『漫画ナックルズGOLD』編集長T根氏が京成高砂まで来訪。駅近くの喫茶店白十字で次回原作の打ち合わせ。
 書いてなかったけど、すでに書き上げた第1稿を元に内容の調整について相談する。今回は難しいテーマのため、編集長じきじきの担当である。
 しかしもっと大直しがあるかと思っていたが、訂正箇所は思ったより少なく、何とか締め切りはのばしてもらわなくても済みそうだ。

 途中、行きつけの理容室の前を通る。髪の毛を切りたかったけど、次の予定が入ってるので今日は素通り。もう3ヶ月以上髪を切ってないから、原稿を書いていると前髪が垂れ下がってきてジャマでジャマで。けどなかなか床屋さんに行く時間が取れない。

投稿者 黒沢哲哉 : 15:31 | コメント (2) | トラックバック

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2007年3月27日

西新宿の某事務所を訪問

 13:30、電車で西新宿にある某高層タワービルで、小学館クリエイティブ編集のW辺くんと待ち合わせ。
 このビルに入っている某事務所へあいさつにうかがう。
 実は5年ほど前にぼくと当時新企画社編集だったW辺くんで、ある単行本企画を立ち上げ、その件でこの事務所に多大な協力をしてもらっていたのだが、その企画は結局、頓挫してしまい、その後、ずっと不義理をしたままだったのだ。
 今年からまたW辺くんと一緒に仕事をすることになったため、前から気になっていたこの事務所におわびのあいさつにうかがうことにしたのだった。
 まさに川内康範のところへおわびに行く森新一の心境だったけど、事務所の社長は川内康範のように面会を拒否することなく会ってくださったので、こちらはひたすら頭をさげたのだった。
 狭い業界なので、理由はどうあれ不義理はよくないです。

投稿者 黒沢哲哉 : 15:49 | コメント (0) | トラックバック

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2007年3月25日

今日は雨のち曇り

 今日は日曜日。11:00、柴又のおもちゃ博物館へ出勤。
 雨なのでお客さんは少ないかと思ったら、朝イチから数人の入場者があり、なかなかの盛況だ。
 結局、午後からは雨もあがって、晴れの日とあまり変わらない入場者数となった。

 この博物館で、2週間前からカタヌキを1回200円で始めたが、深夜倉庫のメンバーと相談して、今日から1回100円に値下げしてみることにした。もっとたくさんの人にやってもらおうという意図なんだけど、何と3分の2の人が成功してぬいぐるみをゲットした。使用しているカタがちょっと簡単すぎるみたいなので、難易度を上げないと儲からないかも。逆に、今なら100円で3分の2の確率でぬいぐるみをゲットできますよー。 来たれチャレンジャー!!

投稿者 黒沢哲哉 : 15:41 | コメント (0) | トラックバック

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2007年3月24日

ライターの仕事が増加中(まとめ編その2)

再びダイジェストですが、実は書くのをさぼっていた内容もありまして、
時期が激しく前後しております。読みにくくて済みません。

1/下旬
 20数年来のつきあいがある編集者のW辺くんから、数年ぶりで電話があった。
 W辺くんは、勁文社時代に一緒に机を並べて仕事をしていた同僚で、その後、小学館系列の出版社新企画社へ入社。新企画社時代には、ぼくの唯一の小説『鋼鉄都市アガルタ』の編集担当をしてくれた恩人でもある。
 そのW辺くんが、新たに同じ小学館系列の出版社である小学館クリエイティブという会社に移ったため、あいさつの連絡をくれたのだ。

2/1
 12:30、神保町でW辺くんとおよそ6~7年ぶりの再会。小学館クリエイティブの偉い方々も紹介していただき、一緒に昼食をいただく。その中には、前にぼくが小学館で学習まんが人物館シリーズの原作を書いたときにお世話になった編集の方もいらっしゃった。
 そこで、これを機会にぜひまた一緒に仕事をしましょうという話になった。

3/9
 13:00、神保町の小学館クリエイティブへうかがい、W辺くんと打ち合わせ。単行本の仕事を依頼される。夏ごろがピークの予定で刊行は年末の予定だ。久々にライターとしての仕事だ。マンガ原作とはまた違った緊張感がある。この感覚も久々である。
 この日はさっそく、グランデや三省堂を回り、関連する資料本を買い込んで帰宅した。





2006/11/某日
 ここで話は変わるが、今からさかのぼること数ヶ月前、タイから一通のメールが届いた。差出人は、タイで出されている日本人向け情報誌「G-Diary」の編集長S山さんである。
 S山さんは、かつて10数年前に日本在住だった頃にマンガの仕事でお世話になった方だ。その後、タイに移住され、現在は向うで仕事をされているのだ。
 そのS山さんが、「G-Diary」で、昭和時代のおもちゃに関するコラムを書いて欲しいという依頼をくださったのだ。
 もちろん、快く引き受けさせていただいた。

2/1
 第1回のコラム原稿を書いてメールにて送る。そのページに載せる画像もぼくが手持ちのおもちゃをデジカメで撮影して送るのだが、こうした撮影も久々で、段取りが悪く、2度も撮り直しになってしまった。デジカメだからいいけど、フィルムだったら大変だった。
 掲載は当初、3月発売の4月号から、という話だったが、編集部の都合で、誌面のリニューアルが遅れ、4月発売の5月号からとなった。

3/13
 第2回のコラム原稿を書いてメールで送る。撮影の段取りも今回はバッチリ。照明は使わず、窓際にレフ板を立てて自然光で撮影する。ぼくの使っているデジカメOLYMPUS CAMEDIA C-2100UltraZoomがマニュアルでホワイトバランスの調節ができないため(※オートのほかに数種類のマニュアルプリセットはある)、写真用ライトを使うと発色がおかしくなってしまうのだ。これでも7年ほど前に買った当時は上位機種だったんだけどなぁ……。





3/1
 またまた話は変わって、とある編集プロダクションの編集者K本氏から電話。いそっぷ社社長のS藤氏からぼくを紹介されたということで、マンガの作品評を書いて欲しいという。
 掲載誌は、マンガ学科があることで知られる京都精華大学が発行するマンガ研究雑誌「KINO」である。
 企画内容をメールで送っていただき、最近のマンガはあまり読んでないけど、昔のマンガのことなら書けます、ということで一部分だけ書かせていただくことになった。昔は映画評などもいろんなところでたくさん書かせてもらったけど、評論を書くのも久しぶりである。今年はこういう流れ、つまり原点回帰の年なのか?

3/3
 K本氏からメール。作品評だけでなく、あるマンガ家へのインタビューもやってもらえないか、という依頼だった。知り合ったばかりでまだ一度も仕事をしてないのに、ここまで信用されちゃっていいんだろうか(笑)。
 いささか心配になりつつも、人選が大変そうな内部事情がうかがえるので、やらせていただくことにした。
 さっそくその作家の作品をまとめて読み返す。ふー、大変。

3/7
 14:30、電車で神奈川県某駅へ。そこで担当編集者、カメラマン、元編集者で現在は京都精華大の講師をされているK田氏と待ち合わせ。マンガ家のお宅へおじゃまする。
 インタビュー時間はおよそ2時間。かなり準備不足な状態でおじゃましてしまったが、マンガ家さんは気さくな方で積極的に話してくれたので助かった。

3/23
 今日現在で作品評の原稿6本中3本完成。インタビューはまだ手を付けてないし、けっこう残ってるなー。

投稿者 黒沢哲哉 : 01:58 | コメント (2) | トラックバック

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2007年3月23日

ぼくがなぜおもちゃ博物館の店番をすることになったか(まとめ編その1)

 うわー、1ヶ月以上も間を空けてしまった。
 もう誰も読んでないかも、と思いつつ、ダイジェストで近況報告します。
 複数の仕事が並行して進行していたので、内容ごとに分けて書きますね。
 ということで、今回はまとめ編その1です。

2/19
 19:00、柴又ジョナサンでWebショップ深夜倉庫の運営メンバーと定例会議を行う。
 しかし今日はぼくが新たな提案を持ち出した。それは、現在運営中のWebショップだけでなく実際のお店を運営しないか、という話である。
 といっても店舗スペースを借りて、そこに商品を並べて……と一からお店をやるわけではない。いまぼくがおもちゃを貸し出している柴又のおもちゃ博物館をお借りできたら、そこで何か面白い企画が展開できるんじゃないだろうか、というものである。
 Webショップだと、実際にサイトを製作していないメンバーにとっては参加意識がいまいち薄かったため、みんなもこのアイデアに大いに乗ってくれた。

2/22
 19:00、柴又の居酒屋で、柴又のおもちゃ博物館館長で、駄菓子屋柴又ハイカラ横丁の経営者でもあるさんと会食をする。今日の主な話題は、おもちゃ博物館の展示品の並べ替えに関することだったんだけど、先日深夜倉庫のメンバーと相談したアイデアを話してみたところ、Kさんも大いに乗ってくださった。
 そこで、展示品の再整理の話はそっちのけで、博物館のスペースを使って何ができるかという話で大いに盛り上がった。

2/26
 19:00、再び柴又ジョナサンで深夜倉庫メンバーが集まり、Kさんの返事を仲間に伝える。
 と、そこで、元ディスカウントショップ経営のK林くんから朗報がもたらされた。昔の仕事仲間からの情報で、倉庫整理のために新品のおもちゃの処分先を探している人がいるというのだ。欲しければそれを格安で譲ってもらえそうだという。これはおもちゃ博物館でのイベントにも使えそうだ。もちろんキープしてもらうことにした。

3/2
 11:30、車でK林くんを拾って、埼玉県某所の倉庫へ行き、処分したいというおもちゃを見せてもらう。かなり高価なものから、時期はずれのものやほとんどガラクタ同然のものまで、ピンキリで2トントラック1台分くらいある。
 そんな大量のおもちゃをどこへ置いたらいいか全くアテはないが、とりあえずまとめて譲ってもらうことにした。

3/4
 11:00、柴又のおもちゃ博物館へ出勤。実は、今月からぼく自身がテスト的におもちゃ博物館の受け付けで店番に立つことにしたのだ。というのは、実際に博物館で接客をしてお客さんの動向や営業中の館内の雰囲気などを把握し、ここでできるイベントの可能性を模索する予定なのである。
 とりあえずノーギャラだけど。
 いやー、しかし、学生時代にアルバイトはいくつもやったけど、接客のバイトは一度もしたことがなく、ましてやレジスターなど触ったこともない。しかしまー、何とかなるでしょう(笑)。
 結果、レジの打ち間違えが2回あったけど、何とかこなせました(笑)。とりあえず、初めてのお店屋さんごっこ(?)は、物珍しさであっという間に終了したのでした。
 今後、暫定的に毎週日曜日は、ぼくが博物館で店番+学芸員として受け付けに立ってますので、皆さん、遊びに来てください。入場料は幼児から大人まで一律おひとり様200円でございます。

3/6
 11:30、K林くんの車とぼくの車2台連ねて埼玉県の倉庫へ。おもちゃをこの2台に詰め込めるだけ詰め込んで、柴又まで2往復。とりあえずぼくの書庫になっているアパートと、K林くんの仕事場の事務所や実家の軒先などに押し込む。
 結局、この日1日では終わらず、3/8に再度、ぼくの車で3往復して、残りのおもちゃをぼくの家とK林くんの家へ詰め込んだ。それでも入りきらない分はおもちゃ博物館で預かってもらうことにして、ようやく全てのにもつの行き先がきまったのだった。

3/10
 K林くんの紹介で、アマチュア演芸グループのリーダーであるS賀さんという方を紹介していただく。S賀さんのグループは、落語や色物の演芸をやる人たちが30人以上集まっており、老人ホームなどで慰問を行ったりしているのだという。そこで、博物館に併設されたイベントスペースで何かやってもらえないだろうか、という提案をしていたのだ。
 この日、博物館のイベントスペースを下見したS賀さんには大いに気に入っていただき、さっそく話を持ち帰ってメンバーと相談してくれることになった。

3/11
 おもちゃ博物館で2度目の店番に立つ。さらにこの日から、アイデアを少しずつ投入し始めた。まずは博物館の一角を縁日風に仕立てるアイデアのひとつとして、カタヌキを始めた。1回200円でカタヌキをやってもらい、うまく抜けたらぬいぐるみをあげるというもの。そのぬいぐるみはもちろん、K林くんルートで仕入れてきたものである。しかしこの日はあいにくの雨でお客さんが少なかったのが残念。来週に期待しよう!! しかしそれでもふたりのお客さんがカタヌキをやってくれた。ふたりともかなり惜しいところまで抜けていたので、オープン記念ということで特別にぬいぐるみをプレゼントした。

3/18
 おもちゃ博物館で3度目の店番。午前中は出足が悪かったが、午後2時を過ぎたころからお客さんがどんどん増え出した。館長のKさんの観測によると、昨夜のテレビ東京の番組「出没!アド街っく天国」で、同じ葛飾区の町お花茶屋を特集していたので、お花茶屋へ遊びに行った人たちが、その後、柴又へ流れてきたのではないかという。
 結局かなりの人数でにぎわい、カタヌキもたくさんの人にやっていただいた。

3/19
 19:00、柴又ジョナサンで深夜倉庫メンバーのK林くんと、ぼく、そして博物館館長のKさんをまじえて、本格的にビジネス展開をするための打ち合わせを行う。
 ここでもさまざまなアイデアが出された。面白いアイデアでもお金がかかる場合もあり、全てをいっぺんに始めるのは不可能だけど、少しずつ柴又の名所として盛り上げられたらいいと思う。

3/21
 新宿区にあるマジシャンの事務所・ウイザードインへ行く。この事務所の代表である柳田昌宏さんには、ぼくが原作を書いたマジックマンガ『マジック・マスター』で監修をしていただき、5年以上の長きにわたってお世話になった方だ。
 今回、このウイザードインにも、おもちゃ博物館の企画にマジックで協力していただけないか、と相談にうかがったのだ。
 柳田氏はとても乗り気になってくださって、ぼく自身が不安だった部分についても、逆に励まされてしまうほどだった。
 柳田氏もさっそく所属マジシャンたちに話を振ってくれるということになった。
 最初はちょっとした思いつきから始まったプロジェクトだったけど、いろんな人を巻き込んで、いよいよ後戻りはできない段階に入ってしまった。さて!

投稿者 黒沢哲哉 : 01:34 | コメント (4) | トラックバック

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