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昭和駄菓子屋おもちゃ館
−第5回−
肥後守

 1950〜60年代に少年時代を過ごした男子なら、肥後守を手にしたことのない人はいないだろう。
 肥後守というのは、ろくに焼き入れもされてないなまくらな刃を、鉄板を曲げただけのハンドルに鋲でちょこっと留めただけの安物のナイフのことだ。
 一説では、熊本県の川尻が発祥の地で、それがこの古風な名前の由来なのだというが、確かなことはわからない。
 駄菓子屋や学校前の文具店などで売られており、60年代中ごろの値段で確か80円から150円くらいだっただろうか。
 けれども店のおばちゃんは、いくらお金を持っていても、幼い子供には売ってくれない。
 しかもその判断基準は、子供の実際の年齢や学年とは、ほとんど関係がないのだ。
 おばちゃんが「この子には、もうそろそろ持たせてもいいだろう」と認めてくれないとだめなのである。
 童顔のぼくは、この関所を通過するまでに、気の遠くなるような歳月を要した(ように記憶している)。
 そしてようやく手にした新品の肥後守のずっしりとした重さと、ツンと鼻をつく機械油の匂い。それはまさしく大人の感触だった。
 やがて男子のほぼ全員がこれを手にするようになる小学校高学年ごろには、およそ何をして遊ぶにも、まずこの肥後守が使われた。
 きびがらを飛ばす竹鉄砲や竹とんぼ、グライダーなどの工作はもちろん、立ち枯れたブタクサの林を開拓して秘密基地を作るときにも、肥後守は大活躍をした。
 日常的に刃物をあつかっているから、ぼくらはその危険性も、身を持って知っていた。つまり不器用な奴は、しょっちゅう指先をケガしていたのである。
 肥後守は刃が固定されていないから、ものを切るときに右手に力を入れすぎると、振り抜いた勢いで刃が折り畳まれ、すぐに指を切ってしまうのだ。
 しかし不思議なことに、ぼくらにとってブリキの鉄砲や銀玉鉄砲は武器≠ナあったが、肥後守は武器ではなく道具≠セった。
 手になじみ、使い込んだ肥後守は、持ち手の部分が新品のときのぴかぴかの銀色から、すれてくすんだ灰色になってくる。
 そして、減っては研ぎを繰り返した刃は、どんどんと細く短くなっていき、焼きの部分がなくなる最後の最後まで、大切に使われた。

キャプション:肥後守にもいくつも種類があって、鋸付きは高級品だった。持ち手の部分に刻印された商標は、製造会社ごとにそれぞれ意匠がこらされていて味わい深い。

「PHPほんとうの時代」(PHP研究所)1999年5月号掲載
(C)Tetsuya Kurosawa.

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