『生きる』(1952年東宝作品)

監督/黒澤明
主演/志村喬、日守新一、田中春男
白黒 143分
 黒澤明の映画は全作品を劇場で見ており、何度も見ている作品も少なくないんだけど、この『生きる』は、代表作であるにもかかわらず実は1度しか見ていなかった。
 ということで、今日急に思い立って10数年ぶりに再見してみたら、記憶していた印象とかなり違っていた部分も多かった。というより、あまりにも後半の葬式シーンの印象が強かったため、ほとんどそこを中心に覚えていたのだ。しかし今回は、志村喬演じる市民課課長がガンを宣告されてから生きる目的を見出すまでのたんねんな描き方が、非常に興味深かった。志村喬を夜の街に連れ出す伊藤雄之助の、まさに『ファウスト』の悪魔的な役はもちろん、志村喬の消えようとしている炎とまるで対象的な、生命力にあふれた若い娘(小田切みき)のキャラクターなど。
 特にこの娘の無意識の言動が志村の気持ちに徐々に変化を与えていく過程が、ほとんど言葉を介さずに、観客に手に取るように伝わってくるあたりの中盤シーンは、まさに黒澤演出ならではの映画的ダイナミズムにあふれている。
 後半の葬式シーンの見事さは脚本(黒澤明、橋本忍、小国英雄)の力に負うところも大きいが、実は黒澤映画の黒澤映画たる部分はこの中盤に集約されていたのである。うーん、こんな名場面をほとんど忘れていたとは、黒澤映画を全作品を見直してみる必要がありますね。

(1999/06/02)


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