Top 柴又名画座 No.231 Back
『映画に愛をこめて アメリカの夜』 (1973年 フランス/イタリア作品)


©1973 Les Films du Carrosse S.A.
原題/LA NUIT AMERICAINE
製作総指揮/マーセル・バーバート
監督・製作/フランソワ・トリュフォー
脚本/フランソワ・トリュフォー、ジャン=ルイ・リシャール、スザンヌ・シフマン
撮影/ピエール=ウィリアム・グレン
音楽/ジョルジュ・ドルリュー
出演/ジャクリーン・ビセット、ジャン=ピエール・レオ、ジャン=ピエール・オーモン、アレクサンドラ・スチュワルト、フランソワ・トリュフォー
カラー ビスタビジョンサイズ 117分
※ 今回テキストにしたのはTVサイズのトリミング・英語吹替版です。
 このところ柴又名画座では、洋画ではアメリカ映画の上映が続いていたので、ここらで気分を変えて久々にヌーベルヴァーグの巨匠でも……と思い、当館のビデオライブラリーに収蔵されていたこの作品を上映することにした。
 ところがこのビデオ、残念なことにはるか昔に中古ビデオ屋で購入したもので、1988年にワーナー・ホーム・ビデオから発売された、英語吹替でしかもトリミング版という情けないソフトなのだ。ということで、本来ならば柴又名画座の鑑賞基準からは外れてるんだけど……ま、いっか、大好きな映画だし(笑)。
 場所はフランスのリビエラにある映画スタジオ。そこにフェラン監督(トリュフォー)を中心とした映画人たちが集まり、今まさに1本の映画が作られていた。そこではプロデューサーが予算やスケジュールに悩み、ひとつの恋が芽生え、ひとつの恋が消え、思わぬアクシデントに見舞われ……監督はそれら全ての難問を次々に解決していかなければならない。そして映画は次第に完成へと向かっていくのだった。
 そこにあるのは現実と虚構の狭間に生きる役者とスタッフたち=映画人たちの不思議な人生である。決してドラマチックであったりスキャンダラスであったりするわけではない。彼らとてごく普通の恋もすればケンカもする人間たちである。しかしそれらの人々が集まって紡ぎ出されるのは、映画という不思議な芸術……。
 作品全体としては特定の主人公を持たない群像劇風に描かれているが、トリュフォー自らが演じる監督の視点から見ると、この映画はトリュフォー自身の自伝とも取れる。
 特にこの映画を見た人と話すと誰もが強く記憶しているシーンに、監督の夢のシーンがある。モノクロームで描かれたその夢の場面は、深夜にひとりの少年がなぜかステッキを持って歩いているシーンから始まる。何度も繰り返し見るその夢の断片は、見るたびに少しずつ先へ進み、やがてその結末が明らかとなる。実は少年の向かった先はすでにシャッターの閉じた映画館であり、少年はそのステッキをシャッターの隙間から差し込んで、映画のロビーカード(劇場に飾られる大判のスチル写真)を盗みに来たのだった。そしてその映画とは、かつて柴又名画座でも上映した『市民ケーン』だった。
 ビデオなどなかった時代、映画を愛するがゆえに、少しでも映画に近づきたいと思った少年が犯してしまった罪……。監督の心には今もその記憶が深く刻み込まれているのだった。そしてその少年が大人になったいま、自らが新たな映画を創造することでその罪は贖われるのか。
 いずれにしろ、ここに集うのは映画を心から愛する人々たちだ。精神的に弱く常に自分を守ってくれる女性がいないとだめな俳優アルフォンス(レオ)は、トリュフォーのもう一人の分身である。彼は時間が空くといつも「映画を見に行こう」と誰かを誘う心からの映画好きでありながら、すぐに気持ちが挫けては「僕はもう俳優をやめる」と言って逃げ出し、また説得されて現場へと戻ってくる。
 彼らはやがて映画が完成すれば、また新しい現場へと散っていく。それまでのわずかな期間を喜びも悲しみも共有しながら過ごす濃密な時間……そのほんの一時期にいくつもの人生が交錯する瞬間を鮮やかに切りとったのがこの映画なのである。
 邦題のサブタイトルとして付けられた「映画に愛をこめて」とはまさにこの映画にふさわしい肩書きだと思う。
 またまた私事を書いて恐縮だけど、ぼくがこの映画を初めて見たのは大学生のころ。ちょうど自分でも8mmカメラを手に入れて自主制作映画を撮り始めたころだった。だからこれと同じような世界を自分自身、縮小版で体験していたわけで、そうした意味でも共感ひとしおだったことを覚えている。
 また、トリュフォーの作品にはこれ以外にも大好きな作品は多く、いずれ柴又名画座でも紹介していきたいと思っています。
 因みに“アメリカの夜”というのは擬似夜景のことで、カメラのレンズ前に減光フィルターを取り付けることで画面を暗くし、昼間に夜のシーンを撮影することを言うのだ。
 なぜわざわざ昼に夜景を撮影するのかと言うと、夜間だと照明を当てても背後の風景が真っ暗になって何も写らなくなってしまうためだ。かつてアメリカで西部劇を撮影するのに広大な荒野が写らなくなってしまうためにこの方法が多用されたことからこう呼ばれるようになったのだと言う。
 そういえばこの手法、今ではめっきり見なくなりました。今ではCGやマット合成で背景なんて何とでもなりますからね。テレビドラマでもかつては照明代を節約するために多用されてたんですけど、こちらもビデオ時代になって全く見なくなりました。

(2004/08/07)


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