Top 柴又名画座 No.211 Back
『サード』 (1978年 幻燈社=ATG)

監督/東陽一
製作/前田勝弘
企画/葛井欣士郎
原作/軒上泊
脚本/寺山修司
撮影/川上皓市
美術/綾部郁郎
音楽/田中未知
演奏/スキンロケット
出演/永島敏行、吉田次昭、森下愛子、志方亜紀子、内藤武敏、峰岸徹、片桐夕子
カラー ビスタビジョンサイズ 102分
 軒上泊のデビュー作『九月の町』(オール読み物新人賞受賞作)を、当時、青春映画の旗手にして映像派と評価の高かった東陽一が映画化したものだ。
 ぼくは公開当時に名画座で数回見ているが、再見するのはそのころ以来、20年ぶりである。
 殺人を犯して少年院に入っている高校生・伸次、通称サード(永島)は、少年院での生活になじめず孤独な日々を送る。毎晩夢に見るのは、野球部員として活躍していた頃の自分が、ホームランを打ってグラウンドを走る姿だ。
 ところがダイヤモンドを1周してホームベースへ戻ってみると、ホームベースがない。仕方なく彼はまたダイヤモンドを回り始める……。
「ホームベースを踏めないランナーは、ただひたすら、倒れるまで走り続けるだけだ」というモノローグが、あざといながらも青春の蹉跌といらだちを象徴していて、なかなかイイ。
 やがて物語は回想に入る。サードはなぜ殺人を犯すに至ったのか。彼は、クラスメートのIIB(ニービー・吉田)、新聞部(森下)、テニス部(志方)の3人とともに、「どこか大きな町へ行こう」と話し合い、その資金を稼ぐために売春を始めることにした。サードとIIBが客を取ってきて、新聞部とテニス部が客の相手をする。ところが、そうした中でトラブルが起きてしまった……。
 実は、今回再見するまで、脚本が寺山修司だったことをすっかり忘れていた。公開当時は東陽一のナチュラルでライブっぽい自然な演出や、グラウンドを地上数cmで疾走する映像ばかりが強烈な印象として残っていたからだ。
 ところが、今回、見返してみて、恥かしながらかなり寺山修司カラーが色濃く出た作品だったことに初めて気がついた。セリフの1つ1つに、あざといながらも、大人になりきれない少年たちのいらだちが、鋭い切り口で語られているからだ。
 特に、サードと共に収監されている少年の中に俳句を趣味にしている少年がいるという設定で、その少年のつぶやく俳句がシニカルな批評になっているのは、映画の中に文学を巧みに加えた面白さがあった。サードが時々ノートに書き記す一見意味不明な言葉の断片もそれは同じである。
 主演の永島敏行は、この映画が『ドカベン』(1977年、監督/鈴木則文)に続く2本目の出演映画であり初の主演作となった。この後、『事件』(1978年、監督/野村芳太郎)、『帰らざる日々』(1978年、監督/藤田敏八)と、優れた監督の下で好演し、たちまち若手実力派俳優と言われるようになった。
 勉強熱心でもあるとの評判で、実際、ぼくもこの当時、早稲田のACTミニシアターという自主上映スペースへ映画を見に行った際に、ひとりで見にきていたのを目撃している。
 ただぼく自身は、当時は彼の老け顔(失礼!)がいまいち青春映画になじんでない気がしていて、“青春映画の顔”であるかのような言い方をしている映画評を読むとかなり違和感を感じた。実際、当時22歳の永島が高校生を演じるのはかなり無理があったようにも思う。が、今見てみると、やっぱりサード役は、彼以外に考えられなくなっているから不思議である。
 一方、この映画で最高に魅力的な演技を見せているのが森下愛子だ。資料によれば、彼女も永島と同じく、この前年の1977年に映画デビューし、この映画が2作目とのことである。しかしぼくはこの映画で彼女の存在を初めて知り、以後『ダブル・クラッチ』(1978年、監督/山根成之)、『皮ジャン反抗族』(1978年、監督/長谷部安春)、『十代 恵子の場合』(1979年、監督/内藤誠)と彼女の出演作を追い続けた。
 いやー、何がいいって、彼女の甘ったるいしゃべりかた、表情、シナの作り方、脱ぎっぷり(?)、もー最高です!! 彼女の顔を見てるだけで、ご飯が何杯でもおかわりできちゃいます(意味不明)。

(2003/02/18)


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