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『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』 (2001年 東宝)

監督・脚本/原恵一
演出/水島努
原作/臼井儀人
作画監督/腹勝徳、堤のりゆき、間々田益男
声の出演/矢島晶子、ならはしみき、藤原啓治、こおろぎさとみ、真柴摩利、林玉緒、一龍斎貞友、佐藤智恵
カラー ビスタビジョンサイズ ?分
 あらかじめ書いておくと、ぼくはテレビアニメの「クレヨンしんちゃん」があまり好きではない。元々、大人向けの風刺マンガであったものを子ども向けアニメとして見せるというコンセプトがどうしてもしっくりこないのだ。
 下品でしたたかで大人のズルさを見抜く幼稚園児、というのは大人向け風刺マンガのキャラクターとしては魅力的かも知れない。しかし、それをそのまま子ども向けアニメとしてゴールデンタイムに放送してしまう事に疑問を感じるのだ。
 確かに、子どもの側からすればこのアニメは楽しいだろう。普段、親から厳しく禁じられるような下品な言動を自由気ままに連発し、大人をも凹ませてしまうパワフルな主人公には、子どもたちの抑圧された気持ちを代弁する魅力があると思うからだ。
 しかし、そんな作品を大人が無批判に子どもに提供していいものだろうか。あまりにもこれを提供する大人が子どもに媚びていやしないだろうか。
 確かに、それじゃあ、ぼくの好きなお下劣ギャグマンガ「おぼっちゃまくん」や、ぼくが子どものころに夢中になり、当時、大人たちから眉をひそめられていた「おそ松くん」や「ハレンチ学園」などの下品さとどう違うのか、と言われれば、それをはっきりと説明することは難しい。
 端的に言えば、アニメの「クレヨンしんちゃん」には、子どもたちが大人をバカにして凹ませそれを子どもが喜ぶというギャグの構図があり、ぼくはそれが嫌いなのかも知れない。それは大人社会を風刺するための手段ではあっても、子どものためのギャグじゃないだろう、と思うのである。

 で、前置きが長くなってしまったが、今回の映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』では、そのテレビアニメの「クレヨンしんちゃん」の、ぼくが最も嫌いな部分が完璧にクリアされていて、見事な子どもの冒険物語になっていたのである。
 物語はこうである──。
 ある日、春日部に「20世紀博」というテーマパークがオープンした。ここは20世紀の街並みやテレビ番組の世界がそっくりそのまま再現された大人のための遊園地であり、大人たちは誰もがこの世界を懐かしがり、夢中になってしまう。やがて、大人たちは仕事も家事もしなくなり、昔の世界に浸り始めた。
 実はこのテーマパーク開館の裏には、大人たちを懐かしい記憶の中に封じ込め、人類の進歩を止めてしまおうとする、ケンちゃんチャコちゃんの陰謀が隠されていたのだ。
 大人たちは、まるで催眠術にかかったようにケンちゃんチャコちゃんの言いなりとなり、子どもたちを捕え始めた。
 このままでは人類の進歩は止まり、子どもたちの未来がなくなってしまう。しんのすけ、ひまわり、風間くん、ネネちゃんら6人の子どもたちは、敢然と大人たちの陰謀に立ち向かい始めた!!

 公開中の映画でもあるのでディティールの詳述は避けるけど、大人と子どもの視点の違いや、それを生かしたギャグがふんだんに盛り込まれ、そこに、過去を懐かしむ後ろ向きな大人たちと、未来を取り戻そうとするしんのすけたちの対比が実に見事に浮き彫りにされている。笑いの中に風刺を込めるというのは、まさにこのことだろう。
 しんのすけのキャラクターである悪ガキとしての魅力を保ちつつ、仲間を助け、両親を愛し、自分たちの未来を思う強い意志がはっきりと描かれている点も大きく評価できる。
 劇場内には、大人から子どもまでが心をひとつにしてしんのすけを応援している空気がひしひしと伝わってきた
 実はこの空気を、ぼくはかつて何度か味わったことがあった。それは、初期の映画『ドラえもん』シリーズの劇場においてだった。
 あの頃、映画『ドラえもん』を上映する映画館は、異様な熱気に包まれていた。テレビでは悪役を演じるジャイアンやスネ夫が、のび太と力を合わせ、心をひとつにして悪と戦う。それを劇場中のあらゆる世代の子どもや大人たちが夢中になって応援する。あの空気は、他のどんな名作映画でも味わったことのない感動的な体験だった。
 ところが、先日見た『ドラえもん のび太と翼の勇者たち』もそうだったように、最近の映画『ドラえもん』シリーズには全く感じられなくなってしまった。これは非常に残念であると同時に、映画『ドラえもん』シリーズの大いなる危機だと感じている。
 そうした中で見たこの映画『クレヨンしんちゃん』だっただけに、この感動が、余計に映画『ドラえもん』の沈下を際立たせる結果となってしまった。
 映画館でも、先日の『ドラえもん』の時には、クライマックスが近づいても私語や歩き回る子どもが目立ったのに対し、今回の『クレヨンしんちゃん』では、飽きて騒ぎ出す子どもはほとんど皆無であった。
 また両方の映画に連れて行った子どもたちも、先日の『ドラえもん』の時には、劇場から出てきたら、もう『ドラえもん』の話題は全くしていなかったのに、今回『クレヨンしんちゃん』の後には、1日中、映画の話をしており、よほど印象に残ったようだった。
 うーむ、アンチ・テレビアニメ版「クレヨンしんちゃん」のぼくとしても、シャクだけど、この映画『クレヨンしんちゃん』には、完全に1本取られたことを認めざるを得ない。だが、まだテレビ版の方まで認めたわけじゃないぞ。がんばれ映画『ドラえもん』!!

(2001/04/21)


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