Top 柴又名画座 No.149 Back
『地雷を踏んだらサヨウナラ』 (1999年 チーム・オクヤマ)

エクゼクティブプロデューサー/中村雅哉
プロデューサー/奥山和由
監督/五十嵐匠
脚本/五十嵐匠、丸内敏治
原作/一ノ瀬泰造
音楽/安川午朗
美術/柴田博英
出演/浅野忠信、ロバート・スレイター、トゥン・ダラチャーヤ、ペン・ファン、チャオ・チャンナリー、川津祐介、羽田美智子
カラー ビスタビジョンサイズ 111分
 戦場カメラマン・一ノ瀬泰造の同名の手記を元にしたドキュメンタリータッチの作品である。ロバート・キャパや沢田教一など、世界的な報道カメラマンに憧れ、紛争中のカンボジアへ向かった写真学校の学生・一ノ瀬泰造(浅野)は、命と引き替えに撮った写真を通信社に売って、その日暮らしの生活を続けていた。
 やがて泰造は、自分のカメラマンとしての目標を、アンコール・ワット遺跡の撮影に見出す。
 クメール・ルージュ(カンボジア左翼組織)のゲリラが支配しているアンコール・ワットを撮影できれば、大スクープになることは確実だ。
 そして一度は国外退去を命じられた泰造は、弾薬運搬船に便乗して再びカンボジアへ入国し、単身、アンコール・ワットを目指した。
 史実では、この後、泰造は行方不明となった。そして、ゲリラによって殺害されたということが、8年後に、遺族によって確認された。

 ぼくは一時期、報道カメラマンのエッセイや手記を立て続けに読んでいた時期があり、この映画の原作となった一ノ瀬泰造の手記も、単行本と文庫で何度も読んでいる。
 一ノ瀬泰造が、キャパや沢田教一と違っていたのは、彼が根っからのジャーナリストや報道カメラマンではなかったということだ。彼の出発点は「カメラマンとして名をあげるには戦争を撮ることだ」という気持ちだったのである。
 そしてカンボジアを訪れるまでは、ただ写真を撮りたいという欲求のみがあって、何が撮りたいという目標はなかったのだ。
 ところが、やがて彼は実際の戦場を撮っているうちに、大いなる目的を見出していくのである。だからこそ彼が目指したものは、生々しい兵士の生死の瞬間などといった戦場そのものではなくアンコール・ワットだったのだ。手記ではそうした心の移り変わりがジワジワと伝わってくる。
 けれども、こうした部分というのは、一ノ瀬泰造を一流の報道カメラマンと同列に見てしまうと見えなくなってしまう。そして、泰造の手記によれば、戦場には、そうした名をあげたいために戦場へやってくるフリーカメラマンは無数にいたのである。
 泰造は確かにジャーナリストではなかった。だが、彼のアンコール・ワットを撮りたいというカメラマンとしての欲求ほど純粋なものはなかった。そして、その意味では、彼は紛れもない真のプロ・カメラマンだったのである。

 この映画は、泰造の友情や恋、そして現地の人々との交流などを実に繊細に描き、浅野忠信の演じる泰造は、本人の人なつっこさをよく現わしていてベストキャスティングであった。
 けれども、この映画では、彼の生と死を描く上で最も重要な部分、すなわち「なぜ一ノ瀬泰造はアンコール・ワットを目指したのか」という部分については明確な答えを出してはいない。もしかしたら、監督も脚本家もそれを正確には理解していなかったのではないか。あるいは理解していても再現しきれなかったのではないだろうか。
 史実では、泰造が最後に持っていたカメラは発見されず、果たして泰造はアンコール・ワットを撮ったのか、あるいは見たのかさえも不明である。この映画ではそこをどう描いているか、とても興味深かったのだが、実際にどうだったかは、映画をご覧になって確かめていただきたい。感想だけを述べておくと、このラストはなかなか良かったです。

(2001/01/11)


[Top] | [Back]